Kommentar 2013 Nr. 5

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Gottfried Freiherr van Swieten

 


Teil 1

 

 

 

 

 

 

 


18 世紀末に
Wien に於いて活躍した作曲家達に
大きな影響を与え
その頃の Wien の音楽界の動向を
音楽家以外の立場から
少なからず決定付けた
Gottfried Freiherr van Swieten
について

 

 Gottfried van Swieten 男爵 (1733-1803) は 1733 年 10 月 29 日に Leiden に於いて生まれ、子供時代をそこで過ごした Nederland 人。
彼の父親の Gerard van Swieten (1700-1772) は、当時の医学とその治療技術の向上に努めた医師として広く知られていたが、1745 年に神聖 Roma 帝国皇帝妃 Maria Theresia (1717-1780) の侍医として、皇帝 Franz I. Stephan (1708-1765) に招聘されて、家族と共に Wien に移り住んでいる。
Gerard van Swieten には、その Wien で彼が取り組んだ、Austria の医療体制と医学教育改革の功績により、後の 1753 年に世襲制の男爵位が与えられている。

 その子供の Gottfried は家族と共に Wien に移ってからは、特に貴族の子弟を対象に官僚と外交官の育成を第 1 の目的として、Jesus 会によって設立された Theresianische Ritterakademie に於いて教育を受ける。父親 Gerard の希望もあり、最初は外交官として 1755 年から 1757 年迄は Brüssel、1760 年から 1763 年迄は Paris、1763 年から翌 1764 年迄は Warschau 等の Europe 各地の首都に赴任し、最後は 1770 年から 1777 年迄 Berlin に於いて Austria 大公国の大使を務める。
その後 1777 年に Wien に戻ってから彼が亡くなる 1803 年迄は、Wien の帝室宮廷図書館の館長職を務める。
またそれと同時に 1791 年 12 月迄宮廷教育書籍監察長官を務めて、Habsburg 帝国の教育全般を監督する立場にあった。

 Gottfried van Swieten 男爵は大使として Berlin に滞在していた間に、Johann Sebastian Bach (1685-1750) の 3 男 Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788) と親交を結び、それ以後 Gottfried van Swieten 男爵が抱くようになる、Barock 音楽への大きな関心の決定的なきっかけを彼から得る。

 Gottfried van Swieten 男爵は Barock 時代の作曲家達の中でも、Johann Sebastian Bach と Georg Friedrich Händel (1685-1759) の 2 人を特に愛好していた。
Swieten 男爵が Berlin から Wien に戻って 4 年後の 1781年に、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) は Salzburg から Wien に移り住んだが、間も無くこの 2 人は Wien に於いて知り合う事になる。

 Swieten 男爵は Berlin に住んでいた頃に集めた楽譜を基に、1782 年から翌 1783 年に掛けて、自身が館長を務めていた Wien の帝室宮廷図書館の Prunksaal に於いて、定期的に日曜日に公開の演奏会を催した。
その演奏会には Wolfgang Amadeus Mozart や Joseph Haydn (1732-1809) も参加していたが、それを通して Swieten 男爵は Johann Sebastian Bach や Georg Friedrich Händel の作品の数々を彼等に紹介した。
丁度その頃の 1782 年 4 月 10 日に Wolfgang Amadeus Mozart は父親の Leopold Mozart (1719-1787) に宛てた手紙の中で、「自分は毎日曜日 12 時に von Suiten [van Swieten] 男爵の所に行きます。そこでは Händel と Bach ばかりを演奏しています」 と書き送っている。

 その後 Wolfgang Amadeus Mozart は Swieten 男爵から得た影響の下、Barock の様式を標榜する Klavier の為の作品を何曲か作曲したが、その他にも Swieten 男爵が音楽に関心を持つ貴族を対象に、Wien に設立した „Gesellschaft der Assoziierten” という協会の財政的援助を通じた依嘱によって作曲された、Händel の „Acis und Galathea” HWV 49 (KV 566)、„Der Messias” HWV 56 (KV 572)、„Alexanderfest” HWV 75 (KV 591)、„Cäcilien-Ode” HWV 76 (KV 592) という計 4 曲の Ode と Oratorium の管弦楽法の編曲を行っている。
また Wolfgang Amadeus Mozart の最後の未完の作品として残された „Requiem” (KV 626) にも、Swieten 男爵を通して伝えられた Barock 様式の影響が明らかに見て取る事が出来る。

 1791 年 12 月 5 日に Wolfgang Amadeus Mozart が亡くなると、Swieten 男爵はその葬儀の手配を行い、またその没後未完で残された „Requiem” が、Wolfgang Amadeus Mozart の生徒であった Joseph von Eybler (1765-1846) と Franz Xaver Süßmayr (1766-1803) によって補完されると、1793 年 1 月 2 日にその全曲版の初演を Wien の Jahn-Saal に於いて、未亡人 Constanze Mozart (1762-1842) とその 2 人の息子、Carl Thomas Mozart (1784-1858) と Franz Xaver Wolfgang Mozart (1791-1844) の為の慈善演奏会として行った。

 

 


Wolfgang Amadeus Mozart
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Gottfried Freiherr van Swieten Teil 2«
[Archiv / Kommentar 2013 Nr. 6]
へ続く

 

 


上部の写真:


帝室宮廷図書館
(現在の Nationalbibliothek) 内
Prunksaal

 

 

 

 

 

 

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