Kommentar 2013 Nr. 6

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Gottfried Freiherr van Swieten

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Gottfried Freiherr van Swieten Teil 1«
[Archiv / Kommentar 2013 Nr. 5]
より続く

 


18 世紀末に
Wien に於いて活躍した作曲家達に
大きな影響を与え
その頃の Wien の音楽界の動向を
音楽家以外の立場から
少なからず決定付けた
Gottfried Freiherr van Swieten
について

 

 Gottfried van Swieten 男爵 (1733-1803) が 1786 年に、音楽を愛好する貴族を集めて Wien に於いて組織した „Gesellschaft der Associierten” は、Georg Friedrich Händel (1685-1759) の Oratorium や、Johann Sebastian Bach (1685-1750) の作品の演奏を目的として設立されたが、その演奏には Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) と同様に Joseph Haydn (1732-1809) も携わっていた。

 Joseph Haydn は 1790 年に Wien に移り住んで以降、 1791 年から 1792 年に掛けてと、1794 年から 1795 年迄の 2 回、 London への演奏旅行に出掛けているが、その 2 回目の旅行の途中で Donau 河沿いの Bayern と Austria との国境の町、Passau に立ち寄った。
Haydn はそれに先立つ 1785 年に、„Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze” (我々の救世主の十字架上での最期の 7 つの言葉) を Orchester の為の作品として作曲しており、その 2 年後には自身でそれを弦楽四重奏用に編曲していたが、その曲を Passau の領主司教の宮廷楽長 Johann Joseph Frieberth (1724-1799) が、合唱と Orchester の為の Oratorium に編曲しており、その演奏を Haydn は丁度その立ち寄った折に Passau で聴いた。

 Haydn は 2 回の London 楽旅の機会に当地に於いて、大きな Orchester の編成による Händel の Oratorien の演奏を聴いて、少なからぬ刺激を受けていた様だが、この 2 回目の London 楽旅から 1795 年に Wien に戻ると、先ず前述の Orchester 版の „Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze” を、自身の手によって Oratorium 版に編曲する作業に着手した。
Text は Frieberth が使用したものを基に、Gottfried van Swieten 男爵が改訂を加えて書き上げた。
Haydn 自身による Oratorium 版に於いては、編成が 4 声の Solo、合唱と Orchester になっている。
この編曲版は翌 1796 年に完成し、同年 Wien に於いて初演された。

 Gottfried van Swieten 男爵はそれ以前から、Haydn に Oratorium を書く様に働き掛けていたが、この後 1796 年 10 月に Haydn は、旧約聖書の創世記に基づく Oratorium „Die Schöpfung” (天地創造) の作曲に着手する。
この Oratorium の Text の基になったものは創世記、詩編と England の詩人 John Milton (1608-1674) による叙事詩、„Paradise Lost” (1667, 失楽園) の 3 つを素材にして、Thomas Linley (1733–1795) が Händel の為に Oratorium 用に書いたのではないかと推測されているもので、音楽興行主として Haydon を 2 回 London に招いた、Bonn 出身の Johann Peter Salomon (1745-1815) がそれの写しを入手して、London 楽旅の折に Haydon に渡した。
但し Händel はこの Text に基づく Oratorium は書いてはいない。
Haydon は Salomon から手渡されたこの Text の写しを London から Wien に持ち帰り、それを更に Gottfried van Swieten 男爵に託して、彼がそれを独語に訳して Haydon の Oratorium 用に改作したものが、この Oratorium „Die Schöpfung” の Text として用いられている。

 Haydn による „Die Schöpfung” の作曲は 1798 年 4 月に完成し、同月 29 日と 30 日に Wien の Neuer Markt に面した Schwarzenberg 宮に於いて、Haydn の指揮によって私的な初演が行われた。この初演は非公開ではあったが Schwarzenberg 宮前の人員整理の為に、30 人の警官が動員されたという記録が残されている。

 その後器楽声部の付加を含めて Haydn による改訂作業が行われた後、公開初演は翌 1799 年 3 月 19 日に、Michaelerplatz の王宮に隣接した、旧 Burgtheater (Wien の宮廷劇場の一つ) に於いて行われた。
Haydn は London で経験した様な大きな編成の Orchester による演奏を望んでいたらしく、この公開初演では 60 人の合唱に対して、120 人からなるこの時代としてはかなり大きな編成による Orchester が演奏した。
この初演には皇帝一族も臨席し、大変大きな成功を収めた。

 その後 Gottfried van Swieten 男爵は、彼による独語の Text を Haydn の音楽の動きに合う様にして、もう一度その Text を英語に訳し直した版を作製した。
この英語版の Text による „Die Schöpfung (The Creation)” の初演は、更に翌年の 1800 年に London の Theatre Royal in Covent Garden に於いて行われた。

 

 


この先は次回
»Gottfried Freiherr van Swieten Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2013 Nr. 7]
へ続く

 

 


Burgtheater
に関しては
[Archiv / Memorandum 2012 Nr. 1]
を参照

 

 


上部の写真:


Wien の Neuer Markt と
Schwarzenberg 宮 (正面奥)


Schwarzenberg 宮は
Austria の建築家
Joseph Emanuel Fischer von Erlach (1693-1742)
の設計によって
1705 年に完成した


Neuer Markt 南面全部を占めていた
Schwarzenberg 宮は
1894 年 に行われた
Kärtnerstraße の拡張工事の機会に
取り壊されて現存しない

 

 

 

 

 

 

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