Kommentar 2013 Nr. 7

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Gottfried Freiherr van Swieten

 


Teil 3

 

 

 

 

 

 

 


»Gottfried Freiherr van Swieten Teil 2«
[Archiv / Kommentar 2013 Nr. 6]
より続く

 


18 世紀末に
Wien に於いて活躍した作曲家達に
大きな影響を与え
その頃の Wien の音楽界の動向を
音楽家以外の立場から
少なからず決定付けた
Gottfried Freiherr van Swieten
について

 

 1799 年 3 月 19 日に Wien の 旧 Burgtheater (宮廷劇場の一つ) に於いて行われた、Joseph Haydn (1732-1809) の作曲による、Oratorium „Die Schöpfung” (天地創造) の公開初演は大きな成功を収め、それ以後 Europe の各地でこの Oratorium は演奏される様になった。

 この大きな成功に刺激されて Haydn は次の Oratorium 作曲の計画を考えたが、それは Gottfried van Swieten 男爵 (1733-1803) が創設した „Gesellschaft der Associierten” という、音楽を愛好する貴族達を対象とした組織から、Oratorium „Die Jahreszeiten” (四季) の作曲を依嘱されるという形で実現し、1799 年春から Haydn は早速その作曲に取り掛かる。
今回もその前の 2 つの Oratorien „Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze” (我々の救世主の十字架上での最期の 7 つの言葉) と „Die Schöpfung” と同様に、その台本製作は Gottfried van Swieten 男爵が担当し、今回は Scotland の作家 James Thomson (1700-1748) が、1730 年に発表した叙事詩 „The Seasons” から抜粋し、独語に翻訳して書き上げた。

 この Oratorium の作曲は Haydn の健康状態が悪化した事と、Gottfried van Swieten 男爵による今回の台本が、Haydn にとって余り納得の出来るもので無かった事もあり、その作曲には 2 年の歳月を要して難航し、Haydn 自身の体力を消耗させた。
作品は 1801 年 3 月に完成し、その初演は „Die Schöpfung” の時と同様に、先ず貴族を対象とした非公開の初演が 1801 年 4 月 24 日に Neuer Markt の Schwarzenberg 宮に於いて、Haydn 自身の指揮の下に行われた。この時に集まった貴族達は Haydn の Oratorium の作曲やその上演の経済的補償を担っていた、前述の „Gesellschaft der Associierten” に所属する貴族達であった。

 その後 4 月 27 日と 5 月 1 日にも同じ会場に於いて更なる演奏会が重ねられ、また 5 月 24 日には Wien の帝室宮廷内に於いて、同じく Haydn の指揮によって演奏が行われている。
公開の初演は同年 5 月 29 日に、Wien の王宮内の Redoutensaal に於いて行われて成功を収めたが、前作の „Die Schöpfung” の時程には至らなかったと伝えられている。

 一方 Gottfried van Swieten 男爵は、Ludwig van Beethoven (1770-1827) が Bonn から Wien に出て頭角を現して来る、その初期に於ける重要な後援者の一人という役目も担っている。
Swieten 男爵の住居に於いて貴族達の集まりが開かれる際には、Beethoven もその集まりに招かれ、それに先立つ凡そ 10 年余り前の Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の時と同様に Beethoven はそこで Johann Sebastian Bach (1685-1750) と Georg Friedrich Händel (1685-1759) の音楽を広く学ぶ事になる。

 1794 年 12 月 15 日に、Swieten 男爵が Beethoven に宛てた以下の様な短い手紙が残されている。

 


今度の水曜日にもし不都合が無ければ
夜の 8 時半に Nightcap を鞄に入れて
私の自宅に来て貰いたい。
速やかな返答を乞う。

 

 

 Swieten 男爵家の集まりでは他の客が帰った後でも、若い Klavier 奏者の Beethoven には長く留まらせ、Swieten 男爵が満足する迄 Johann Sebastian Bach の Fuge を何曲も弾かせたという逸話が残されているが、当時の Wien では夜の 9 時以降は外出禁止となり、全ての建物の入口が閉ざされてしまうので、もし Beethoven がそれ以後自宅に帰るとすると、当時住んでいた Lichnowsky 侯爵邸の門番にお金を特別に払って入口を開けて貰わなければならず、それに対する Swieten 男爵の心遣いを上記の手紙に窺う事が出来る。

 Swieten 男爵の下で広く知った Johann Sebastian Bach と Georg Friedrich Händel の音楽に触れる事は、Wolfgang Amadeus Mozart の場合と全く同様、Beethoven にとっても大変重要であったように窺われる。
後に Beethoven の生徒となった Ferdinand Ries (1784-1838) は、「あらゆる作曲家の中で Beethoven は Mozart と Händel を最上級に、そしてそれに次いで J. S. Bach の音楽を高く評価していた。 [・・・] Beethoven が何か楽譜を手にしているのを見る時、或いは書き物机の上に何か乗っているのを見る時、それは必ずその彼等の内何れかの作品であった」 と後に書き残している。

 1795 年に Beethoven が Wien に於いて、3 曲の Trio für Klavier, Violine und Violoncello, op. 1 を出版する為にその予約購買者を募った折、Gottfried van Swieten 男爵はそれを 3 部購入している。
また 1800 年に完成した、Beethoven にとって初めての Symphonie in C-dur (Nr. 1, op. 21) を、Beethoven は Swieten 男爵に献呈している。

 

 


Gottfried van Swieten 男爵
による手紙
及び
Ferdinand Ries
による記録の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内は執筆者による

 

 


上部の写真:


1808 年 3 月 27 日に
Joseph Haydn の功績を讃える為に
Wien 大学旧校舎の Festsaal に於いて行われた
Oratorium „Die Schöpfung”
の公演の時の様子


Austria の画家
Balthasar Wigand (1771-1846)
による水彩画

 

 

 

 

 

 

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