Kommentar 2014 Nr. 1

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Louis Ferdinand von Preußen

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Louis Ferdinand von Preußen Teil 1«
[Archiv / Kommentar 2013 Nr. 8]
より続く)

 


Beethoven が 1796 年の演奏旅行の折に
Berlin に於いて知り合い
その Klavier の演奏を大変高く評価した
Preußen 王国の王子
Louis Ferdinand
に関して

 

 Louis Ferdinand von Preußen (1772–1806) は彼と親交のあった伯母に当たる Anna Amalie von Preußen (1723-1787) を通じて、数々の音楽作品に直接触れる機会はあったが、作曲の能力の基本は独学で習得した様に窺える。
1795 年に書かれた手紙の中で彼は、「私が作曲法をいくら一所懸命に勉強しても、これで十分かも知れないという状態に迄やり遂げる事は出来なかった」 と書いている。

 1796 年に Ludwig van Beethoven (1770-1827) が、Wien から Praha、Dresden と Leipzig を経由して Berlin に迄演奏旅行で来た折に、その宮廷に於いて Louis Ferdinand と知り合っており、Beethoven は彼の Kavier の演奏を聴いて 「王族的であったり王子が演奏する様なものでは全く無くて、まるで有能な Klavier 奏者の様だ」 と、Beethoven にしては珍しく大変高い評価を下している。

 それ以降の Louis Ferdinand の音楽活動に対する Beethoven の少なからぬ影響を窺う事が出来る。
その後の 1799 年に Louis Ferdinand が Hamburg に於いて、Beethoven の Drei Sonaten für Pianoforte und Violine in D-dur, A-dur und Es-dur, op. 12 の楽譜と、自身の作曲の為に五線紙を 6 冊購入したという記録が残されている。

 この Beethoven の作品を Louis Ferdinand は、1803 年迄度々 Hamburg を訪れた France 人の Violine 奏者、Pierre Rode (1774-1830) と共に演奏する事が出来た。
Louis Ferdinand は後にこの Pierre Rode に、自身の Quartett für Pianoforte, Violine, Viola und Violoncello in f-moll, op. 6 を献呈している。
また Louis Ferdinand は Beethoven の Sonate für Pianoforte Nr. 17 in d-moll, op. 31 Nr. 2 („Der Sturm”) の第 1 楽章の Motiv を自身の作品、Rondo für Pianoforte und Orchester in B-dur, op. 9 と、Großes Trio für Pianoforte, Violine und Violoncello in Es-dur, op. 10 の中で引用している。

 Louis Ferdinand は 1800 年 2 月初旬 Hamburg に於いて、Bohemia の作曲家 Jan Ladislav Dusík (1760-1812、Johann Ladislaus Dussek) と知り合い、その作曲の生徒となる。しかし文字通り間も無くその月の内に、Louis Ferdinand は Hamburg を後にしなくてはならなくなり、作曲の勉強は短期間で中断してしまったが、この 2 人の関係はその後も続く事になる。

 Dusík は 1803 年に自身の Quartett für Pianoforte, Violine, Viola und Violoncello in Es-dur (C. 197) を Louis Ferdinand に献呈しており、また翌 1804 年初頭には Louis Ferdinand が Dusík を Berlin に呼び、その時の Louis Ferdinand による Quintett für Pianoforte, 2 Violinen, Viola und Violoncello in c-moll, op. 1 の初演の際には、Dusík が Pianoforte を担当してその演奏に参加している。

 その年の 5 月に Louis Ferdinand は、Preußen 王国軍の指揮官として駐屯していた Magdeburg に Dusík を連れて行き、その時から 1806 年 10 月に Louis Ferdinand が亡くなる迄、Dusík は Louis Ferdinand の作曲の師であり、また室内楽を共に演奏し、 Louis Ferdinand の侍者であると同時に、その飲み仲間の役目も務めた。

 それ迄に楽譜出版の経験があった Dusík は、Louis Ferdinand の作品の出版も任される様になる。
Louis Ferdinand は自身の作品に関してそれを世間に広める事、或いは楽譜として出版してそこからの利益を追及するという事には余り関心を持っておらず、専ら自分で演奏して楽しむ為に作曲をしており、その為の見やすい楽譜という事を第一に考えていた為に、この楽譜出版から得る利益は全て Dusík に与える事となった。

 

 


Beethoven
及び
Louis Ferdinand
による手紙の原文は省略
日本語訳は執筆者による

 

 


この先は次回
»Louis Ferdinand von Preußen Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 2]
へ続く

 

 


上部の写真:


Louis Ferdinand von Preußen

 

 

 

 

 

 

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