Kommentar 2014 Nr. 2

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Louis Ferdinand von Preußen

 


Teil 3

 

 

 

 

 

 

 


»Louis Ferdinand von Preußen Teil 2«
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 1]
より続く

 


Beethoven が 1796 年の演奏旅行の折に
Berlin に於いて知り合い
その Klavier の演奏を大変高く評価した
Preußen 王国の王子
Louis Ferdinand
に関して

 

 Louis Ferdinand von Preußen (1772–1806) が Jan Ladislav Dusík (1760-1812, Johann Ladislaus Dussek) と音楽上の子弟関係を超えて、それ以外の面に於いても親密な付き合い方をした様に、Louis Ferdinand は当時一般的であった身分と家柄に制限された社交関係を超えて、彼自身に興味を起こさせる様な人物であれば、進んで社交上や芸術的な関係を持つという事を好む傾向にあった。
特に Louis Ferdinand の興味や関心が充足されたのは、Dusík を始めとする芸術家達との関係の他に、当時女性によって開かれていた Berlin に於ける Salon を訪問する時であった。

 当時の Berlin では、Russia 皇帝 Alexander I. (1777-1825) や Preußen 国王 Friedrich Wilhelm III. (1770-1840)、Napoléon Bonaparte (1769-1821)、Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832) 等と個人的に親しい関係にあった、Dorothea von Kurland 侯爵妃 (1761-1821) が貴族を対象とした Salon を主宰しており、そういう場での貴族や外交官達との社交にも Louis Ferdinand は参加してはいたが、彼個人にとってより重要であったのは、Henriette von Crayen (1755-1832) や Rahel Levin (1771-1833) 等の市民階級の女性が主催する Salon であった。

 その中でも特に作家で当時の啓蒙思想家を代表していた Rahel Levin は、後に Karl August Varnhagen von Ense (1785-1858) と結婚して Rahel Varnhagen von Ense として知られているが、1790 年から 1806 年迄未婚女性として初めて Salon を開いた。
その彼女の Salon の常連客には作家の Jean Paul (1763-1825)、Ludwig Tieck (1773-1853)、思想家の Friedrich Schlegel (1772-1829)、神学者で哲学家の Friedrich Schleiermacher (1768-1834)、人文学者の Wilhelm von Humboldt (1767-1835) とその弟で博物学者の Alexander von Humboldt (1769-1859) 等を始めとする数多くの文学関係者、思想家や芸術家達がいたが、1800 年に Louis Ferdinand もその仲間に加わる事になった。

 Rahel Levin の Salon に於ける数々の知識人達との交流を通して、Louis Ferdinand が芸術や思想に関する知識と見識を深めたであろう事は容易に想像する事が出来る。
またその Salon の訪問以外でも、Louis Ferdinand が Friedrich Schlegel の兄の、文学史家で哲学家の August Wilhelm Schlegel (1867-1845) の講義を聴講した事も記録に残されている。

 1804 年に Louis Ferdinand は外交の任務を帯びて Wien に滞在し、その機会に Ludwig van Beethoven (1770-1827) と久し振りに再会した。
Beethoven の重要な後援者の一人、Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵 (1772-1816) はその後、Louis Ferdinand を Wien から自身の Bohemia の領地に連れて行った。
そこの Jezeří 城に於いて、Beethoven の Symphonie in Es-dur (Nr. 3) の公開初演に先立つ私的な演奏が何度か行われ、Louis Ferdinand はその折にその作品を耳にする機会を得た。
Beethoven は Wien で Louis Ferdinand に再会した数箇月後に、Konzert für Klavier und Orchester Nr. 3 in c-moll, op. 37 を彼に献呈している。

 その翌年の 1805 年に Louis Ferdinand は Preußen 王妃 Luise von Mecklenburg-Strelitz (1776-1810)、Heinrich Friedrich Karl vom und zum Stein 男爵 (1757-1831) や Ernst von Rüchel 将軍 (1754-1823) 等と共に、対仏戦に躊躇していた Preußen 国王 Friedrich Wilhelm III. (1770-1840) に働き掛け、当初はそれでも躊躇って拒否してはいたものの、Friedrich Wilhelm III. は最終的には軍隊の出動を命じた。

 Preußen 王国軍と France 帝国軍が全面的に対峙した 1806 年の Jena と Auerstedt に於ける 2 重交戦の 4 日前に当たる、10 月 10 日に行われた Saalfeld の戦いに Louis Ferdinand は陸軍中将として参戦し、Preußen 軍先発隊司令官として出動したが、France 軍第 10 軽騎兵連隊の下士官 Jean-Baptiste Guindey (1785–1813) によって致命傷を受け、それが原因で図らずもその短い生涯を終える。

 Louis Ferdinand の Ludwig van Beethoven に対する関心と影響は、この最期の年に彼が Beethoven による Drei Sonaten für Klavier und Violine in A-dur, c-moll und G-dur (op. 30) と同 A-dur (op. 47、„Kreutzersonate” として知られる)、及び Sonate für Klavier in C-dur (op. 53、„Waldstein”) の楽譜を購入している事からも窺う事が出来る。
彼のこの戦死に先立つ数日前には、駐屯していた Rudolstadt の Heidecksburg 城に於いて、Beethoven の作品を Klavier で演奏していた。

 Louis Ferdinand が 33 歳で亡くなったこの 1806 年に Ludwig van Beethoven は、自身の Symphonie in Es-dur、„Sinfonia Eroica” を前述の Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵に献呈して出版するに際し、„Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire di un grand’uomo” (一人の偉大な男の想い出を記念する為に作曲された英雄交響曲) という表題を与えた。

 この様な表題を新作の、自身に献呈される Symphonie に与えるという事を、Lobkowitz 侯爵自身が Beethoven に提案したかも知れないという可能性は考える事が出来るが、何れにしてもこの 「一人の偉大な男」 というのは、今迄広く言われている様に Napoléon Bonaparte を指しているのでは無く、Louis Ferdinand を Beethoven は意図している。

 1800 年に知り合ってから Louis Ferdinand が亡くなる迄、その作曲の師でありまた室内楽を共に演奏する仲間でもあった、Bohemia の Klavier 奏者で作曲家の Jan Ladislav Dusík は、Louis Ferdinand の早過ぎる死を悼み、„Elégie Harmonique sur la Mort de Son Altesse Royale le Prince Louis Ferdinand de Prusse en Forme de Sonate pour le Piano-Forte” (Preußen の Louis Ferdinand 王子殿下の死への Piano-Forte の為の Sonate の形式による悲歌) in fis-moll, op. 61 をその年から翌年に掛けて作曲したが、この曲は Dusík の最も知られた代表作となっている。

 

 


Jan Ladislav Dusík
に関しては
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 1]
を参照

 

 


上部の写真:


Louis Ferdinand が
Beethoven の Symphonie in Es-dur の
公開初演前の私的な演奏を聴いた
Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵の
居城の一つ
Jezeří 城

 

 

 

 

 

 

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