Kommentar 2014 Nr. 3

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Ferdinand Ries

 


Teil 1

 

 

 

 

 

 

 


Ludwig van Beethoven の
Klavier の生徒の一人
Ferdinand Ries
に関して

 

 Ferdinand Ries (1784-1838) は何よりも Ludwig van Beethoven (1770-1827) の数少ない生徒の一人で、その私的な生活面に直接触れる事が出来、それを記録に残した事で良く知られているが、その生前から既に Klavier の名手でまた作曲家としても広く知られていた。
その作品は教会音楽を例外とする当時の一般的な音楽作品領域全般に亘り、作品番号付のもので 186 曲、それ以外に作品番号の付けられていないもので凡そ 100 曲の作品を残した。

 Ferdinand Ries は、Köln 選帝侯の Bonn 宮廷楽団の Violine 奏者で、後に選帝侯音楽監督を務めた Franz Anton Ries (1755-1846) の長男として、1784 年に Bonn に於いて生まれる。
父親の Franz Anton Ries は、Ludwig van Beethoven が Bonn から Wien に出る前の 1785 年から翌年に掛けての Bonn 時代に、Beethoven に Violine を教えており、その後も 2 人の親密な関係は続いた。

 その子供の Ferdinand Ries は、早熟の名手として早くから活躍し、1790 年からは父親の同僚で Bonn の宮廷楽団員となっていた Bernhard Romberg (1767-1841) に、Violoncello を教わる。
その頃には Ludwig van Beethoven が既に同じく Bonn の宮廷楽団員となって働いていた。

 その後 1794 年には Napoléon 戦争によって、France 革命軍が Rhein 河左岸の Bonn に差し迫って来ると、Köln 選帝侯の Maximilian Franz von Österreich (1756-1801) は生まれ故郷の Wien に避難し、宮廷楽団は同時に解体されて、父親や Beethoven と同じく、そこにいつか採用されるという Ferdinand Ries の希望は最早叶わぬ夢となる。

 1798年に Ferdinand Ries は、父親の知り合いの Orgel 奏者の下で更なる音楽の勉強を続ける為に、Köln 選帝侯領内の Arnsberg に移る。
翌年には更に München に移って、そこで写譜士として生計を立てる。

 1802 年 12 月に Ferdinand Ries は、München 宮廷劇場の音楽監督を務めていた作曲家の Carl Cannabich (1771-1806) に、Wien の Johann Andreas Streicher (1761-1833) に宛てて推薦状を書いて貰い、それを携えて Wien に移る。

 Stuttgart 出身の Johann Andreas Streicher は 1786 年から München に於いて、評価の高い Klavier 奏者並びに作曲家として活動していた。
その後 1793 年に Augsburg の Klavier 製作者の娘、Anna Maria Stein (1769-1833、通称 Nannette) と結婚し、その翌年には家族共々 Wien に移って、Nannette とその弟の Matthäus Andreas Stein (1776-1842) が共同で Klavier 工房を経営していたが、次第に自身も Klavier 製作の技術を習得し、1802 年からは独立して Wien で自身の工房を構えるようになっていた。
それ以前から Beethoven は Streicher の楽器を大変高く評価しており、自作の Klavierkonzert の演奏にもその楽器を喜んで使う事があった。

 この Johann Andreas Streicher と Beethoven との懇意な関係を仲立ちにして、Ferdinand Ries が Wien に移って間も無い 1803 年の春から、Beethoven は自身の嘗ての Violine の師の息子を自分の生徒として受け入れる事になる。
Beethoven が音楽家育成を目的として教えた生徒というのは大変少なくこの時期に於いては、後に作曲家と Klavier の教育者として後世に名を残すことになる Carl Czerny (1791-1857) 以外には、Ferdinand Ries のみであった。

 

 


この先は次回
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[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 4]
へ続く

 

 


上部の写真:


Ferdinand Ries の
油彩肖像画

 

 

 

 

 

 

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