Kommentar 2015 Nr. 1

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Sigismund von Neukomm

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Sigismund von Neukomm Teil 1«
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 8]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart
と同郷で彼の音楽を敬愛し
また
Joseph Haydn
の生徒となって彼と生涯に亘る親密な関係を築いた
古典派から Roman 派の時代に掛けての
作曲家、Klavier 奏者、指揮者で楽長
Sigismund Ritter von Neukomm
に関して

 

 Sigismund von Neukomm (1778-1858) は Wien に出て Joseph Haydn (1732-1809) の生徒になり、両者の間には間も無く大変親密な関係が築かれる事となったが、Haydn は Neukomm の音楽面に於ける才能も高く評価していた様で、Haydn の代表作となる 1798 年に完成、その翌年に公開初演された Oratorium „Die Schöpfung” (天地創造) と、同じく 1801 年に完成、初演された „Die Jahreszeiten” (四季) の 2 作品の為の、piano Score の作成を Neukomm に一任し、また 1775 年に „Wiener Tonkünstler-Sozietät” (Wien 音楽家協会) の為に作曲した、Oratorium „Il ritorno di Tobia” (Tobiasの帰還) の改訂作業も、Haydn の希望によって Neukomm が行っている。

 Neukomm の合計 7 年間に及ぶ Wien 滞在と、Haydn の下での勉強期間の終わり頃から、Neukomm は自身の作曲活動も始め、1804 年 1 月からは „Verzeichnis meiner Arbeiten in chronologischer Ordnung” (年代順自作品目録) を記し始めた。それは彼が亡くなる直前迄書き続けられたが、合計で 1,265 の作品がそこには記入されている。

 1804 年 5 月になると Neukommは、当時の Russia 帝国皇帝 Alexander I. (1777-1825) の母親、Maria Fjodorowna (Sophie Dorothee von Württemberg、1759–1828) に宛てた Joseph Haydn による推薦状を携えて、Russia 帝国の首都 St. Petersburg に向かった。

 Maria Fjodorowna とその配偶者の Russia 皇帝 Paul I. (1754-1801) は、Paul I. が Russia 大公時代の 1781 年に、夫妻で Wien を訪れる機会があり、その年の 12 月 24 日に 皇帝 Joseph II. (1741-1790) が催した歓迎演奏会への返礼として、その翌日に大公妃主催による演奏会が Wien の王宮に於いて開かれた。
その演奏会には Joseph Haydn が同席し、その間近に完成されて Russia 大公 Paul に献呈された、Quartett für Streicher, op. 33 が初演されて大きな成功を収めた。
またその時の夫妻の Wien 訪問の折に Maria Fjodorowna は、Joseph Haydn の下で数時間に及ぶ音楽教授を受ける機会があり、Haydn を大変高く評価していた。

 St. Petersburg に到着した Neukomm は、Maria Fjodorowna の前で演奏する機会を与えられ、その結果間も無く当地の音楽家達の支援を受ける事が出来る様になった。
丁度その頃偶然にも St. Petersburg のドイツ劇場の監督が指揮者を探し求めており、Neukomm はそれに採用されて劇場の Orchester の楽長職を得る事が出来た。
この期間に Neukomm が作曲した作品は、Lied 等の若干の例外を除くと専ら劇場用の作品に集中しており、例えば Oper „Alexander am Indus” は、1804 年 9 月 27 日に行われた Maria Fjodorowna の長男の、Alexander I. (1777-1825) の Russia 皇帝への戴冠式の折に上演され、Neukomm が Russia 帝国に於いて作曲家としても広く認められる機会となった。

 しかし St.Petersburg に於ける楽長職に関しては、特に好ましい経験は余り出来なかった様で、1 年で終了した契約を更新する事は無く、その夏に病床に伏せた後、Neukomm は 1805 年の 12 月になると Moskwa (Moskva) へ移る。
Moskwa では劇場用の作品から編成の大きな器楽曲へと作曲の方向を変え、„Fantasie für Orchester” という曲種を創り出す。
その分野で作曲された作品は Fantasie in C-dur für großes Orchester, op. 11 / NV 25 を始めとして、その後に Fantasie in d-moll für großes Orchester, op. 9 / NV 26 や Fantasie in B-dur für großes Orchester, NV 41 等と続く。

 この Neukomm による Fantasie für Orchester というのが、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の Fantasie für Klavier が基になって触発されたものかどうかに関しては明らかでは無いが、 Mozart の Fantasie für Klavier を Orchester 用に編曲しようとする試みはこの頃の他の作曲家にもあって、例えば Ludwig van Beethoven (1770-1827) の Oper „Fidelio” の初演を指揮した Ignaz von Seyfried (1776-1841) は、1811 年に Wolfgang Amadeus Mozart の Fantasie für Klavier in c-moll, KV 475 に、Sonate für Klavier in c-moll, KV457 を合わせて、Orchester 用の作品に編曲している。この作品は翌年になって Leipzig の Breitkopf & Härtel 社より出版され、また同地の Gewandhaus-Orchester の演奏会でも採り上げられて、大変良好な評価を受けている。

 Seyfried の場合もその曲に続いて更に、Mozart の Orgelstück für eine Uhr in f-moll, KV 608 と、Quartett für Klavier, Violine, Viola und Violoncello in g-moll, KV 478 から、Fantasie für Orchester in f–moll を書いている。

 

 


この先は次回
»Sigismund von Neukomm Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2015 Nr. 2]
へ続く

 

 


上部の写真:


Russia 大公夫妻の
Paul と Maria Fjodorowna が
Wien の Schönbrunn 宮殿
を訪れた時の様子

Russia の一行と
皇帝 Joseph II.

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.