Kommentar 2015 Nr. 3

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Sigismund von Neukomm

 


Teil 4

 

 

 

 

 

 

 


»Sigismund von Neukomm Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2015 Nr. 2]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart
と同郷で彼の音楽を敬愛し
また
Joseph Haydn
の生徒となって彼と生涯に亘る親密な関係を築いた
古典派から Roman 派の時代に掛けての
作曲家、Klavier 奏者、指揮者で楽長
Sigismund Ritter von Neukomm
に関して

 

 1809 年 2 月に Wien を出発して故郷の Salzburg や Montbéliard に立ち寄った後、翌年から Sigismund von Neukomm (1778-1858) は Paris に住まいを構えた。
そこでは当時 Paris で活躍していた Jan Ladislav Dusík (1760-1812、Johann Ladislaus Dussek)、André-Ernest-Modeste Grétry (1741-1813) や、Luigi Cherubini (1760-1842) 等の作曲家達と知り合う。
また Paris の貴族達とも知己を得、Lothringen–Vaudémont 侯爵夫人 Louise Auguste Elisabeth Marie Colette (1763-1832) には特に引き立てられ、彼女を通して革命総裁政府及び Napoléon 政権の下で 1807 年迄外務大臣を務めていた、Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord (1754-1838) とも知り合って、それ以後長く続く事になる両者の親交が始まる。

 1814 年 4 月 12 日に Napoléon Bonaparte (1769-1821) が皇帝位を退位した後 Talleyrand は、Louis XVI. (1754-1793) の弟の Provence 伯爵 Louis Stanislas Xavier de Bourbon (1755-1824) が、Louis XVIII. (1755-1824) として France 国王に即位するのに尽力し、自身は再度外務大臣に就任した。
その年の 9 月に France の代表として Wien 会議に参加した Talleyrand は、Neukomm を Wien に迄連れて行った。

 その会議の途中翌 1815 年の 1 月 21 日に Wien の Stephansdom に於いて、それより 22 年前の 1793 年 1 月 21 日に処刑された Louis XVI. を追悼する行事が行われ、その折に皇帝、国王や貴族等会議に参加した各国の全代表が列席する中、Neukomm による Requiems in c-moll が演奏された。
この演奏によって Neukomm には France 国王 Louis XVIII. より Légion d’Honneur 勲章の騎士十字章が授けられ、それ以後 Neukomm は自身で Ritter von (騎士) を名乗る様になる。

 1815 年 6 月 9 日の最終議定書の締結によって Wien 会議が終了すると、Neukomm は Talleyrand と共に Karlsbad へ回り道をした後、南部及び西部のドイツ各地と現在の Belgium 王国領を通って、9 月に Paris へ戻る。
この Wien から Paris へ帰国する旅の折に Neukomm は、Luxemburg 公爵との面識を得ている。

 Portugal 女王 Maria I. (1734-1816) の 3 男 João Maria (1767-1826) は、1792 年以来 Portugal の摂政皇太子であったが、Napoléon 軍の Portugal 領内への侵攻によって 1808 年に王室一家及び政府は、Portugal の植民地であった Brasil の Rio de Janeiro へ移り、そこに宮廷が置かれる事となった。
その後 1816 年 3 月 20 日に女王 Maria I. が亡くなると、João Maria は Portugal 及び Brasil の国王 João VI. として Rio de Janeiro に於いて即位する事になり、Luxemburg 公爵が France 国王となった Louis XVIII. の臨時特使として、Rio de Janeiro に派遣される事となった。
そこで Luxemburg 公爵は今回の Brasil 行きに当たって、この前年に知り合った Neukomm に同行の誘いをし、Neukomm は喜んでこれを受けた。

 Neukomm の Brasil 行きに当たって Talleyrand は、嘗ての Paris 駐在 Portugal 公使であった、Barca 伯爵 António de Araújo e Azevedo (1754-1817) への推薦状を与えた。Barca 伯爵は上品な身の振る舞いと国際的な感覚を有していた Neukomm を大変気に入り、Luxemburg 公爵の帰国後も彼の Rio de Janeiro の住まいへの滞在を招待して Neukomm はそれを受けた。

 Neukomm は Barca 伯爵の仲介によって、宮廷に於ける義務が伴わずに報酬の高く支払われる地位を得たが、自身から申し出て、後に Brasil の初代皇帝 Pedro I. 及び Portugal 国王 Pedro IV. として即位する事になる王子 Dom Pedro (1798-1834)、及び神聖 Roma 帝国皇帝 Franz II. (1768-1835) の 4 女で、1817 年 11 月 6 日に Dom Pedro と結婚する Austria 大公女 Maria Leopoldine (1797-1826) の、音楽と France 語の為の教師の役も務める様になった。

 また Rio de Janeirro 滞在中に Neukomm は自然科学、中でも特に植物学の研究を行ったが、1816 年から 1822 年迄調査の為に Brasil 及び南米を訪れていた France の植物学者、Augustin François César Prouvençal de Saint-Hilaire (1779-1853) と恐らく共同で、その調査作業に従事したと推測されている。

 

 


この先は次回
»Sigismund von Neukomm Teil 5«
[Archiv / Kommentar 2015 Nr. 4]
へ続く

 

 


上部の写真:


1814 年の Wien 会議に参加した
各国の代表の集まり

Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord は
前列右から 2 人目


France の画家
Jean-Baptiste Isabey (1767-1855)
の絵画に基づく
France の画家、版画家で建築家
Jean Godefroy (1765-1848)
による銅版画

1819 年制作

 

 

 

 

 

 

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