Kommentar 2015 Nr. 4

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Sigismund von Neukomm

 


Teil 5

 

 

 

 

 

 

 


»Sigismund von Neukomm Teil 4«
[Archiv / Kommentar 2015 Nr. 3]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart
と同郷で彼の音楽を敬愛し
また
Joseph Haydn
の生徒となって彼と生涯に亘る親密な関係を築いた
古典派から Roman 派の時代に掛けての
作曲家、Klavier 奏者、指揮者で楽長
Sigismund Ritter von Neukomm
に関して

 

 1816 年 4 月に Luxemburg 侯爵の招きによって Rio de Janeiro へ同行した Sigismund von Neukomm (1778-1858) は、Luxemburg 侯爵の帰国後もそこに留まって、Napoléon 戦争を避けて当地に避難していた Portugal 王室の王子 Dom Pedro (1798-1834) と、1817 年 11 月 6 日の彼との結婚によって王太子妃となった、Austria 帝国初代皇帝 Franz I. (1768-1835、1806 年迄は最後の神聖 Roma 帝国皇帝 Franz II.) の 4 女、Austria 大公女 Maria Leopoldine (1797-1826) の、音楽と France 語等の教師の役目を務め、Portugal 国王 João VI. (1767-1826) の寛大な計らいによって、それ等から十分な報酬を得る事が出来た。
Maria Leopoldine の長姉の Marie-Louise von Österreich (1791–1847) は、この後の 1810年に Napoléon Bonaparte (1769-1821) との結婚によって、France 帝国皇妃 となった人物。

 Rio de Janeiro に於いて Neukomm は、当時 France 王国の外務大臣であった Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord (1754-1838) の推薦状によって知己を得た、Barca 伯爵 António de Araújo e Azevedo (1754-1817) の家に住んでいたが、Barca 伯爵は Neukomm が Rio de Janeiro へ来た翌年に急死してしまう。
しかし Neukomm には新大陸と呼ばれた Brasil での生活が気に入っていた様子で、その後は後に在 Paris の Brasil 特使となる Saint–Amaro 伯爵の招きによって、その後も同地に留まっている。

 Rio de Janeiro の滞在中に Neukomm は、Orchester や教会音楽の数多くの大きな演奏会の指揮者として音楽界に登場し、またこの滞在中に凡そ 45 曲の作品を作曲した。
それと同時に Europe の音楽界からは遠く離れた土地に暮らす事によって、自身の名が全く忘れ去られる事の無い様にとも気遣っていた様子で、当時の Europe で最も有力な音楽専門誌であった Allgemeine musikalischen Zeitung (一般音楽時報) 誌に、定期的に Rio de Janeiro とそこで暮らす同胞人の様子を書き送っている。

 1821 年になると Neukomm は個人的な健康上の医師の勧めと、翌年に Portugal 王国の植民地からの独立を宣言し、Brasil 帝国の建国へと続く事になる国内の不穏な情勢の為に帰国を決心し、4 月に Europe へ向けて 5 年間暮らした Rio de Janeiro を後にする。

 同年 10 月に Paris に到着した Neukomm を Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord は大いに歓迎し、Neukomm は再度 Paris に居を定める事にする。Talleyrand-Périgord との親交はその後彼が亡くなる 1838 年迄続く事になる。

 Neukomm が 1809 年に初めて Paris に住み始めた時と同様今回も、Lothringen–Vaudémont 侯爵夫人 Louise Auguste Elisabeth Marie Colette (1763-1832) からの後援を受け、今回は Orléans 公爵 Louis-Philippe (1773-1850) 宅へ出入り出来るように導かれ、間も無くそこで „ami de la maison” と呼ばれる様になる。
Orléans 公爵 Louis-Philippe はその後 1830 年に、France 王国最後の国王 Louis-Philippe I. として即位する。

 Paris で Neukomm は、音楽雑誌 „Revue et Gazette musicale de Paris” の批評家及び作家として契約した。
その後 1826 年頃迄は主に Paris に滞在していた時間が長かったが、その後は Europe 中を広く旅する様になる。
1820 年代には France 国内以外では主に Italia、Belgium、Nederland、ドイツ、Suisse、Austria と、彼にとっての第 2 の故郷と考えていた England に行った。
1830 年には France 国王に即位した Louis-Philippe I. によって、France 大使として英国に派遣された Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord を追って、Neukomm も London に行った。
これ等の旅行によって Neukomm は国際的にも広く知られる様になった。

 

 


この先は次回
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Sigismund von Neukomm

 

 

 

 

 

 

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