Kommentar 2016 Nr. 5

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Domenico Carlo Maria Dragonetti

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Domenico Carlo Maria Dragonetti Teil 1«
[Archiv / Kommentar 2016 Nr. 4]
より続く

 


Beethoven を始めとする
数多くの著名な作曲家と親交を結び
最初の国際的な Kontrabaß の名奏者として
後期古典派及び Roman 派に於ける
独立した Kontrabaß 奏法の発展に多大な功績を遺した
Domenico Carlo Maria Dragonetti
について

 

 3 年の歳月を費やして 1787 年 9 月 13 日に、漸く念願であった Basilica di San Marco の、大聖堂楽団の Kontrabaß 奏者に採用された Domenico Carlo Maria Dragonetti (1763-1846) であったが、既にその年の 12 月には楽団から Kontrabaß の首席奏者に選ばれている。
この事からも 3 年の間 Dragonetti の楽団への採用を San Marco 財務官が拒否して来たのには、彼の出自等技量以外の別の理由があったと推測する事が出来る。

 何れにしてもこれを機に、Dragonetti の演奏の機会は Basilica di San Marco 以外の場でも急に増える事になり、総督宮殿の礼拝堂やその他の宗教施設、公的祝典の催し物や劇場等に於いて、定期的に演奏する様になった。
また Venezia の貴族の社交界での演奏によって、Dragonetti にとっては初めて国外の貴族からの注目も集まる事となった。こういうきっかけから Dragonetti は、Austria 大公女 Maria Theresia (1717-1780) の第 13 子 10 女の、Napoli – Sicilia 国王妃 Maria Karolina von Österreich 大公女 (1752-1814) の庇護を受ける事となった。

 Dragonetti の Venezia に於ける成功によって、彼には London や Moskwa (Moskva) 等国外からの、数々の大変有利な条件下での奨学金の申し出がもたらされたが、最初はこれを受けずに全て断っていた。
Dragonetti がこうして楽団を去る事無く、共和国の為に尽くすという彼の誠意に対して San Marco 財務官は、採用当初 25 Dukaten であった Dragonetti の年俸を、一気に 75 Dukaten に引き上げるという非常に寛大な優遇措置を以て答えた。
その決定を記録する San Marco 財務官による文書には、Dragonetti に対する措置があくまで特例であって、他の者の前例にすべきでは無いという但し書きが添えられている。

 この例外的な優遇措置に加えて更に San Marco 財務官は 1791 年に、Vicenza の San Pietro 修道院に保管されていた、高名な弦楽器製作者でまた Kontrabaß 奏者でもあった Gasparo da Salò (Gasparo Bertolotti、1540-1609) の貴重な Kontrabaß を買い取り、それを Dragonetti に与えるという事をし、また年俸に加えて特別手当を Dragonettiに支払うという事もしている。
この時に Dragonetti に贈られた Kontrabaß は、彼の没後その遺言によって Basilica di San Marco に返却され、それ以後他の者の手に渡る事は無かった。
現在この楽器は Basilica di San Marco の美術館で目にする事が出来る。

 大変な優遇措置を以て Venezia に求められた Dragonetti ではあったが、共和国自体が財政破綻の危機に見舞われるという状況になってしまい、最早 San Marco 財務官も Venezia 中から熱望されていた Dragonetti をこれ以上留めておく余裕を失い、止む無く 1794 年になると、彼が England に行ける様にと 5 年間の休職期間を与える。
その後 1797 年 5 月 14 日に Venezia は Napoléon の軍隊に占領され、共和国は崩壊してしまう.
Dragonetti はこの知らせを、Venezia での休職後移り住んでいた London に於いて知る事になる

 Dragonetti はその時代の主だった数多くの音楽家との交際関係を持っていたが、Napoléon 戦争最中の 1800 年前後に London から大陸へ渡り、特にこの時代の Europe 音楽の発信地の役目を担っていた Wien にはそこから何度も行っている。
1799 年には Beethoven をその住居に訪ね、求められて彼の技巧を要する Sonate für Violoncello und Klavier in g-moll (op. 5, Nr. 2) を、Kontrabaß で演奏するという事があった。

 Beethoven 自身はその時 Klavier 声部を担当したが、特にその最終楽章での Arpeggio の箇所では彼の技巧に感嘆し、Dragonetti を褒め称えたという逸話が残されている。
この両者の出会いによって Beethoven の、Kontrabaß の能力とその可能性に関する意識が明らかに変わったという事が、それ以降の彼の作品に於ける Kontrabaß の扱い方に現れており、その後 Beethoven のそういう新しい作品を演奏した Wien の Orchester の、 Dragonetti の様な特別な技量を持たない Kontrabaß 奏者達は、結構苦労しただろうと想像する事が出来る。

 この Beethoven との関係の他にも、彼が未だ 13 歳であった時に知り合った Violine 奏者の Niccolò Mestrino (1748–1789) と共に、特にその弦楽四重奏曲の声部を練習した Joseph Haydn (1732-1809) を始めとして、Gioachino Rossini (1792-1868) に至る迄、Dragonetti は多くの同時代の作曲家達に Beethoven と同様な影響を与えている。

 Niccolò Mestrino は Dragonetti との練習を重ねた後の 1780 年に、Joseph Haydn が宮廷楽長を務めていた Esterházy de Galantha 侯爵 Nikolaus I. Joseph (1714-1790) の宮廷楽団の奏者として、特別な好待遇で迎えられている。
Joseph Haydn はこの Dragonetti の影響で、Konzert für Kontrabaß und Orchester in D-dur (Hob. Ⅶc/1) を作曲したが、この作品はその後失われてしまい現在に於いても発見されていない。

 

 


この先は次回
»Domenico Carlo Maria Dragonetti Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2016 Nr. 6]
へ続く

 

 


上部の写真:


Basilica di San Marco

Venezia

 

 

 

 

 

 

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