Kommentar 2015 Nr. 5

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 

 


Sigismund von Neukomm

 


Teil 6

 

 

 

 

 

 

 


»Sigismund von Neukomm Teil 5«
[Archiv / Kommentar 2015 Nr. 4]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart
と同郷で彼の音楽を敬愛し
また
Joseph Haydn
の生徒となって彼と生涯に亘る親密な関係を築いた
古典派から Roman 派の時代に掛けての
作曲家、Klavier 奏者、指揮者で楽長
Sigismund Ritter von Neukomm
に関して

 

 1821 年に Paris に戻って、1809 年以降に次いで Neukomm にとって 2 度目の Paris での生活が始まったが、1826 年からはそこを中心にして Neukomm は Europe 大陸の各国を広く旅した。
1830 年に London に渡ってからは、England, Ireland や Scotland の音楽祭に招かれて、自身の作品を指揮して演奏した。

 1837 年に Neukomm は Mainz 市より、嘗ての当市の市民で活版印刷を発明実用化した Johannes Gutenberg (ca. 1400-1468) の、記念像の除幕式の為の音楽祭に招かれて、彼が 1833 年に作曲していた „Te deum” in Es-dur, NV 440/443 が彼の指揮によって演奏された。
また同じく Mainz 市より 1840 年には、Gutenberg の印刷発明 400 周年の記念演奏会に招かれて、自作の „Messe” in Es-dur, NV 582 を演奏した。

 また 1842 年 9 月 5 日に彼の故郷の Salzburg で行われた、同郷の Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の記念像の落成式に於いては、その除幕の役とその際の演説を任され、また Mozart の „Krönungsmesse” (戴冠 Missa) in C-dur, KV 317 と、„Requiem” in d-moll, KV 626 が彼の指揮によって演奏された。
またこの機会に賛歌 „Österreich” (Austria) も作曲されている。
この落成式の半年前に、Mozart の未亡人の Constanze Mozart (1762-1842) は Salzburg で亡くなっているので、この時の落成式への出席は叶わなかったが、幼児期を超えて生き残った 2 人の子供、Carl Thomas Mozart (1784-1858) と Franz Xaver Wolfgang Mozart (1791-1844) は、この落成式に同席している。
Salzburg ではこの落成当日を挟んで 3 日間盛大な祝祭行事が行われた。

 Neukomm は Pierre-Alexandre Monsigny (1729-1817)、François-Joseph Gossec (1734-1829)、André-Ernest-Modeste Grétry (1741-1813)、Luigi Cherubini (1760-1842)、Ignaz Moscheles (1794-1870) や Felix Mendelssohn Bartholdy (1809-1847) 等の、同時代の数多くの先導的な作曲家達との親交があった。
因みに Felix Mendelssohn Bartholdy は 1839 年に Leipzig 市より、来る 1840 年の Johannes Gutenberg による活版印刷発明 400 周年記念の為の作曲を委嘱されて、Sinfoniekantate für Soli, Chor und Orchester „Lobgesang” op. 52 (MWV A 18) を作曲し、1840 年 6 月 25 日に同市の Thomas 教会に於いて作曲者の指揮によって初演され、また同年 9 月 23 日には Birmingham に於いて、同じく作曲者の指揮によって England に於ける初演が行われた。

 この Sinfoniekantate „Lobgesang” は Mendelssohn 自身の意図とは全く関係無く、彼の没後に Sympgonie Nr. 2 として出版されて、現在に至る迄一般的にそう捉えられているが、2009 年に初めて学術的観点から編纂された作品目録 (MWV, Mendelssohn-Werkverzeichnis) に於いては、Symphonie から外され本来の声楽曲に分類されている。
Mendelssohn がこの曲の England 初演を行った Birmingham の音楽祭には、Neukomm も 1833 年と 1837 年の 2 度招かれて演奏している。

 Neukomm は 1804 年 1 月 12 日以降、彼が 1858 年 4 月 3 日に Paris で亡くなる迄、自身の伝記的な内容も含む自作品目録を記録し続けた。それによると彼の記録された全作品数は 1,265 と大変多いが、その中には 1804 年以前に作曲されたものは含まれておらず、また複数の作品が一つの番号に纏められているものもあって、実際の総作品数は更に多い事になる。

 Neukomm が活動した時代というものは古典派がその終焉へ向かい、次第に Romantik に移行していく時期に当たるが、Neukomm 自身の音楽様式としては、18 世紀末の後期古典派の様式に強く結びついており、来るべき Romantik への指向は抑えられていると捉える事が出来る。

 Neukomm の全作品の中で特に目に付くのは教会音楽の占める比重の大きさで、Messe だけで 50 作品が作曲されており、それに対して Symphonie は 2 曲しか書かれておらず、器楽作品に対する声楽作品の比重は明らかに大きい。また Kanon だけで 99 作品が書かれているが、その中の一つの „Non omnis moriar” による謎 Kanon は、Neukomm が寄贈した彼の師 Joseph Haydn (1732-1809) の墓碑に書かれている。

 Neukomm の広範囲に及ぶ学識、国の範囲に捉われる事無く Europe 全体に広がるその人格と作風等は各国から高く評価され、France から贈られた Légion d’Honneur 騎士十字章の他に、Sankt Petersburg の Philharmonie 協会、Stockholm の王立 Akademie と Wien の楽友協会からはそれぞれ名誉会員、及び Dublin 大学からは名誉教授の称号が贈られている。

 Neukomm による自作品目録中の 1,265 番目となる最後の作品の記載は、1858 年 3 月 10 日付で書き込まれた仏語の Text による、Soli と Chor の為の „Angelus” であった。
その凡そ 1 箇月後の 4 月 3 日に Neukomm は 80 歳で亡くなり、Paris の Montmartre 墓地に埋葬された。
現在の Wien 市第 13 区 Hietzing にある „Neukommweg” は、彼に因んで名付けられた。

 

 


上部の写真:


Bayern の彫刻家
Ludwig Schwanthaler (1802-1848)
の意匠に基づき
München の鋳造家、彫刻家、素描家の
Johann Baptist Stiglmaier (1791-1844)
の鋳造によって制作された
Salzburg の Mozart 記念像

Neukomm によって
1842 年に落成された

 

 

 

 

 

 

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