Kommentar 2015 Nr. 7

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 


Muzio Clementi

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Muzio Clementi Teil 1«
[Archiv / Kommentar 2015 Nr. 6 ]
より続く

 


Italia の作曲家、鍵盤楽器奏者、音楽教育者で
更には Klavier の製造業や
音楽出版業も営んだ
Muzio Clementi
について

 

 London に於ける Cembalo 奏者及び Haymarket の King’s Theatre での通奏低音奏者兼指揮者としての成功に勢い付けられて、Muzio Clementi (1752-1832) は 1780 年から国外での演奏旅行の為に大陸へ渡る。
同年 Paris の宮廷に於いて France 国王妃 Marie Antoinette (1755-1793) の前で演奏する。
その後 München と Salzburg に於いても演奏を行い乍ら東へ移動し、翌年 12 月 19 日に Clementi は Wien に到着した。

 Wien に於いて Clementi は前述の Marie Antoinette の長兄に当たる、神聖 Roma 帝国皇帝 Joseph II. (1741-1790) の前でも演奏を行ったが、Joseph II. は、その年に Salzburg の宮廷 Organist の職を辞して Wien に移り住んでいた、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) と Clementi による Cembalo 演奏の競演を計画し、その年の 12 月 24 日に両者を Wien の宮廷に招いた。

 この時の競演の場での Clementi に関して Mozart は、Salzburg に居る父親 Leopold Mozart (1719-1787) に宛てて翌年 1 月に書いた手紙の中で、以下の様に書いている。

 


[・・・]
Clementi が上手に演奏すると言えるかどうかは
その右手の練習次第でしょう。
— 彼の得意なのは 3 度の楽句です。 —
ところで彼は情感や趣味というものを少しも持ち合わせていません。
一言で言うならば単なる機械主義です。
[・・・]

 


 この時に Clementi が皇帝とその客人及び Mozart の前で演奏したのは、自作の Toccata in B-dur と Sonate für Cembalo oder Fortepiano in B-dur, op. 24, Nr. 2 であった。
この時の Clementi の演奏に対して上記の様に否定的な評価を下した Mozart ではあったが、その 10 年後に Singspiel „Die Zauberflöte” (魔笛) を作曲するに当たり、この競演の時に Clementi が演奏した op. 24, Nr. 2 の第 1 楽章の第 1 主題を、その序曲の第 1 主題に借用している。
序曲の方では調性が Es-dur に変更されているが、最初の 2 小節は Clementi のものと全く同一となっている。

 1783 年に Clementi は長い演奏旅行を終えて London に戻り、その後の 20 年間は England 国内に留まって鍵盤楽器奏者、作曲家、指揮者や教育者として活動する。
Clementi が London に戻った年の秋には、後に鍵盤楽器奏者、作曲家、音楽教育者となる Mannheim 生まれの、Johann Baptist Cramer (1771-1858) が Clementi の生徒となる。

 この時期 Clementi は、1786 年に 3 Sonaten für Cembalo oder Fortepiano und Violine, op. 15、その翌年に鍵盤楽器の為の Capriccio in B-dur, op. 17 及び、B-dur, op. 18, Nr. 1 と D-dur, op. 18, Nr. 2 の 2 曲の Symphonie、1790 年には唯一の Konzert für Fortepiano und Orchester in C-dur, WoO 12、更にその翌年には 3 Sonaten für Cembalo oder Fortepiano, op. 23 と、6 Sonaten für Cembalo oder Fortepiano, op. 25 等を作曲している。

 1794 年には Ireland 生まれで Violine 奏者の息子、John Field (1782-1837) が 12 歳で勉強の為に London に出て来ており、Clementi は彼を生徒として受け入れている。
Nocturne という音楽形式は Barock 時代に発生してそれ以降古典派の時代にも続いていたものだが、それとは別に Roman 派の時代になって生まれ、Frédéric Chopin (1810-1849) によって広く知られる様になった、Klavier の為の性格小品としての Nocturneは、1812 年にこの Field によって生み出された。

 1797 年には、後の 1878 年に C. F. Peters 社によって出版された Sonatinen-Album の第 1 巻に収録されて、現在に於いても広く知られる様になる、6 曲の Sonatinen für Cembalo oder Fortepiano op. 36 を作曲する。

 

 


Wolfgang Amadeus Mozart
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内は執筆者による

 

 


この先は次回
»Muzio Clementi Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2015 Nr. 8]
へ続く

 

 


上部の写真:


Wien の
Wolfgang Amadeus Mozart より
Salzburg に居る
父親 Leopold
に宛てた手紙

1782 年 1 月 12 日付


Wien の宮廷に於ける競演での
Muzio Clementi に対する
Mozart の評価が
中程に含まれる

 

 

 

 

 

 

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