Kommentar 2016 Nr. 2

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 


Erzherzog Rudolph von Österreich

 

 


Austria 大公 Rudolph

 

 

 

 

 

 

 

 Austria 大公 Rudolph Johann Joseph Rainer (1788-1831) は、1788 年 1 月 8 日に Toscanaa 大公 Peter Leopold (1747-1792、1790 より皇帝 Leopold II.) と、España 国王 Carlos III. (1716-1788) の娘 María Luisa de Borbón (1745–1792) との間の 16 番目の末子として、Toscana 大公国の Firenze に於いて生まれる。

 父親の Peter Leopold は 1765 年から 1790 年迄の間 Leopold I. として Toscana 大公爵の地位にあり、そのために家族はその間 Toscana 大公国の首都 Firenze で暮らしていたが、Rudolph が 2 歳の時に父親の長兄で神聖 Roma 帝国皇帝であった Joseph II. (1741-1790) が亡くなり、その年に Leopold II. として皇帝位を継いだ父親と共に、その戴冠式以来家族は Wien に移り住み、Rudolph は実際にはそこで育った。
父親の Leopold II. が皇帝即位後僅か 2 年で亡くなると、その後は Rudolph よりも 20 歳年長の、長兄 Franz Joseph Karl (1768–1835) が Franz II. として帝位を継ぐ事になる。

 Rudolph は Wien に於いて早くから軍務に就いて経験を重ね、帝室王室第 14 歩兵連隊 „Salm 伯爵” の連隊長に就任する迄に至ったが、元来芸術、特にその中でも音楽に多大な関心を抱き、また同時にその重要な擁護者ともなっていた Rudolph は、1815 年に軍務を止めて聖職者の道に進んで行く。
1815 年 3 月に Olmütz (現在 Czech 共和国 Olomouc) の司教区参事会員、同年 6 月には後継権を持つ司祭補佐となる。

 Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) が務めていた Wien の宮廷作曲家の地位は、彼の没後空席のままとなっていたが、その後継者として Anton Teyber (1756-1822) が 1793 年に同職に就任する。
この音楽家の宮廷に於ける地位に課せられた職務の一つが、皇帝の若い家族達への音楽の教育であったが、それに従って Rudolph 大公は若年の時より、Teyber に Klavier の演奏を習っていた。
それと並行して 1803 年からは作曲を Beethoven に習う様になり、1809 年からは更に Klavier の演奏も同じく Beethoven の下で教授を受ける事となって、名実共に Beethoven の数少ない生徒の一人となった。
因みに Beethoven が作曲を教えた生徒と言う事が出来るのは、彼の生涯に亘って Rudolph 大公一人しかいない。

 Beethoven から音楽的に高い評価を得ていた Rudolph 大公は、Beethoven との間に師弟を超えた親密な関係を結んでおり、Beethoven が 1808 年の秋に、1807 年の第 4 次対仏大同盟戦争の結果、Tilsit の講和条約により誕生した Westphalen 王国の国王で、France 帝国皇帝 Napoléon Bonaparte (1769-1821) の弟の Jérôme Bonaparte (1784-1860) より、その Kassel の宮廷に於ける楽長として招聘を受けた折には、Beethoven にそれを思い止まらせて Wien にその後も末永く留まって貰う為に、年額合計 4,000 Gulden の終生に及ぶ年俸支払いの契約を、Beethoven との間に Rudolph 大公は他の 2 名の貴族と共に 1809 年 2 月 26 日に結んでいる。

 1818 年に Beethoven は Klavier による伴奏付きの Lied „O Hoffnung, du stählst die Herzen, du milderst die Schmerzen” (WoO 200) を作曲したが、Beethoven はその主題を課題として Rudolph 大公に与え、Rudolph 大公はそれに基づいて 40 の変奏曲と終曲の Fuge からなる作品を書いて Beethoven に献呈した。
1819 年 1 月 1 日付のそれへの返礼の手紙の中で、Beethoven はその作品が 「秀逸」 だと高く評価している。

 その後 1819 年 3 月 24 日に行われた選挙によって、Rudolph 大公は Olmütz の大司教に選出される。また同年 6 月 4 日に Vatikan に於いて行われた枢機卿会議の場に於いて、Roma 法王 Pius VII. (1742-1823) は Rudolph を司祭枢機卿に任命し、同年 9 月 28 日に Rudolph は Wien でこれを受ける。
この年の内に Olmütz に於いて行われた Rudolph による初めての Missa の為に、嘗ての師 Teyber は Missa solemnis in c-moll を作曲している。
Rudolph の司祭及び司教への叙階の儀を経て、翌年 3 月 9 日に Rudolph の枢機卿への推戴式が Olmütz に於いて執り行われた。
それ以降 Rudolph は彼の芳しくない健康状態にも関わらず、終生この聖職の務めを果たした。

 

 

 Beethoven が音楽的にも高く評価しており、また Beethoven の作品を尊崇していた Rudolph 大公に対して、Beethoven は他の誰よりも多くの以下の作品を献呈している


   Missa solemnis in D-dur für Soli, Chor, Orchester und Orgel, op. 123
   Konzert für Klavier und Orchester in G-dur, op. 58 (Nr. 4)
   Konzert für Klavier und Orchester in Es-dur, op. 73 (Nr. 5)
   Trio für Klavier, Violine und Violoncello in B-dur, op. 97 „Erzherzog”
   Streichquartettsatz in B-dur, op. 133 „Große Fuge”
   Bearbeitung des Streichquartettsatzes in B-dur, op. 133 „Große Fuge”
      für Klavier zu vier Händen, op. 134
   Sonate für Klavier in Es-dur, op. 81a „Les adieux” (Nr. 26)
   Sonate für Klavier in B-dur, op. 106 „Hammerklavier” (Nr. 29)
   Sonate für Klavier in c-Moll, op. 111 (Nr. 32)
   Sonate für Violine und Klavier in G-dur, op. 96 (Nr. 10)

 

 

 Beethoven による代表的な大作の一つである上記の „Missa solemnis” は、1820 年 3 月 9 日に行われる事となった、Rudolph の枢機卿推戴式の為に作曲が始められたが結局それには間に合わず、完成は大幅に遅れてしまい、1823 年になって漸く Rudolph に献呈された。
この作品の初演は 1824 年 4 月 7 日に、Russia 帝国の Sankt Petersburg に於いて演奏会の形式によって行われた。

 

 


上部の写真:


Rudolph 大公が
亡くなる迄聖職を務めた
Olmütz の
Wenzelsdom

 

 

 

 

 

 

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