Kommentar 2016 Nr. 3

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 


Augarten

 

 

 

 

 

 

 


Wien で最も古い
Barock 様式による庭園
Augarten について

 

 現在 Wien 市内の国が管理する公園の一つとなっている Augarten は、1614 年に神聖 Roma 帝国皇帝 Matthias (1557-1619) が、皇帝の狩猟場の領域内で未だ手付かずの状態であった水郷地帯の一角に、狩猟小屋を建てた事に始まる。
その後 1650 年頃に皇帝 Ferdinand III. (1608-1657) はこの狩猟小屋を拡張し、それに接して Nederland 式の庭園を建造した。

 それには Filiberto Lucchese (1606-1666) の設計になる、Johann Franz von Trautson 男爵 (1609-1663) の邸宅と庭園が接していたが、それを 1660 年代に Ferdinand III. の息子の皇帝 Leopold I. (1640-1705) が買い取り、そこに Barock 式の庭園を建造した。
また Leopold I. は 1677 年頃に Trautson 男爵の邸宅を小さな宮殿に改築し、それに „Kaiserliche Favorita” (皇帝のお気に入り) という名前を付けた。
その後 1683 年には Osmân 帝国による第 2 次 Wien 包囲戦の際に庭園全体が破壊され、建造物で残ったものは宮殿の北東部の塀の一部のみという状態であった。

 その後 Leopold I. とその 3 番目の夫人との間の長男の、皇帝 Joseph I. (1678-1711) の治世になって、嘗ての „Kaiserliche Favorita” の宮殿は 1705 年に、また庭園は France 人の室内装飾家でまた造園家の Jean Trehet (1654-1740) の設計によって、1708 年から 1713 年迄掛かって再建された。
庭園が完成した時には Joseph I. の弟の Karl VI. (1685–1740) が皇帝になっていたが、現在に迄至る総面積 52.2 ha の Barock 様式による庭園がこの時に出来上がった。
1705 年に Joseph I. によって再建された Augarten 宮は 1948 年以来、„Wiener Sängerknaben” (Wien 少年合唱団) として活動している、全寮制私立学校の所在地となっている。

 Jean Trehet は 1686 年に Leopold I. によって、宮廷の Tapestry の制作及び修復の為に Wien に招かれており、その後 Schönbrunn 宮や Schwarzenbergpalais 等の庭園の設計を France 様式に基づいて行い、1707 年には帝室造園技師に任命されていた。
その頃 Augarten に建造された庭園 Hall は 1923 年以来、Europe で 2 番目に古い歴史を持つ 「磁器工房 Augarten Wien」 の所在地となっている。

 Austria 大公女 Maria Theresia (1717-1780) の長男で啓蒙君主と言われている皇帝 Joseph II. (1741-1790) によって、1766 年 4 月 7 日に Prater が公開されたが、その後 1775 年 5 月 1 日には同様に Augarten が、帝室の庭園としては初めて一般の市民に開放された。この機会にサヨナキドリ (小夜啼鳥、夜鳴鶯) が庭園に放たれ、その捕獲は禁止されている。
また同年に入口正門が France 系 Austria 人の建築家で、1766 年より Wien の宮廷建築士であった Isidore Ganneval (1730-1786) によって建設された。

 1830 年 2 月 28 日から 3 月 1 日に掛けての夜に起こった Donau 河の氾濫によって、その付近一帯は洪水に見舞われたが、Augarten も全域が 1.75 m の水位まで浸水した。
その後 1860 年から 1870 年に掛けて行われた Donau 河の付け替えによる治水工事によって、それ迄は Donau の水郷地帯に属していた Augarten はそこから引き離され、これ以後は Donau の洪水による水害を受ける事は無くなった。

 その後 Augarten は落ち着いた日々を過ごすが、第 2 次世界大戦が勃発すると、Austria 共和国を併合していた Adolf Hitler (1989-1945) によってその地理的条件から、Wien の中心地域を連合国軍の空襲から守る為の、高射砲塔を設置する理想的な場所の一つとして Augarten が選ばれた。
1944 年の夏からその建設が始まり、翌年の 1 月に Ⅲ 型による高さが約 55 m の戦闘塔と、高さが約 51 m の射撃統制塔とが完成した。この 2 つの塔は現存しておりその後全く使用されてはいないが、2000 年に記念文化財に指定されて保護されている。

 現在磁器工房 Augarten Wien が使用している庭園 Hall では、1782 年 5 月 26 日に最初の Morgenkonzert (朝の演奏会) が、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の指揮によって行われた。
この演奏会の指揮を Mozart はそれ以後も引き受け、自作の Klavierkonzert の演奏も行っている。
Mozart の没後は様々な指揮者によって演奏会が続けられて来たが、1795 年からは Wien で既に高名であった Violine 奏者の、Ignaz Schuppanzigh (1776-1830) が指揮をする様になった。
Ignaz Schuppanzigh と親しかった Ludwig van Beethoven (1770-1827) の様々な作品も、Schuppanzigh の指揮によってこの演奏会で度々演奏されている。

 

 


上部の写真:


1705 年に再建された
Augarten 宮

 

 

 

 

 

 

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