Kommentar 2016 Nr. 4

 

 

 


Thema : Ludwig van Beethoven

 


Domenico Carlo Maria Dragonetti

 


Teil 1

 

 

 

 

 

 

 


Beethoven を始めとする
数多くの著名な作曲家と親交を結び
最初の国際的な Kontrabaß の名奏者として
後期古典派及び Roman 派に於ける
独立した Kontrabaß 奏法の発展に多大な功績を遺した
Domenico Carlo Maria Dragonetti
について

 

 Domenico Carlo Maria Dragonetti (1763-1846) は 1763 年 4 月 7 日に、Venezia 共和国の首都で生まれる。
父親の Pietro の職業については、理髪師という説があるものの推測の域を出ず不明。しかしある程度の音楽的な才能を有し、恐らく Kontrabaß を含む複数の楽器の演奏が出来たであろうという点に関しては、研究者の意見が一致している。
母親の Cattarina に関しても、Giovanni Battista Calegari の娘であるという事以外に詳しくは分かっていない。

 Domenico Dragonetti の若い頃に関しても多くの事は分かっていないが、彼の親しい友人であった London 生まれの音楽家で、また後に音楽出版社を営んだ Vincent Novello (1781-1861) に拠ると、Dragonetti は幼少の頃より音楽の才能を有し、Violine や Guitar を始めとする様々な楽器の演奏法を独学で習得したと伝えている。
音楽の教育に関しては父親による手解きを受けた後、Basilica di San Marco や Venezia 市内の劇場の Kontrabaß 奏者をしていた Michele Berini に教えを受けている。

 Dragonetti は彼が 13 歳になる 1776 年に、Violine 奏者の Niccolò Mestrino (1748–1789) に出会っており、その後数箇月の間この 2 人は共に厳格な規律の下に、休む間も惜しんで難しい楽句の練習に励んだ。この両人はその中でも特に本来その楽器の為に作曲されたものではない難しい曲を、彼等の練習材料に好んで使用した。
Niccolò Mestrino はその 4 年後の 1780 年 11 月 1 日より 5 年の間、宮廷楽長 Joseph Haydn (1732-1809) の下、Esterházy de Galantha 侯爵 Nikolaus I. Joseph (1714-1790) の宮廷楽団の奏者を務め、480 Gulden の年俸という、当時の恵まれた音楽家に漸く与えられる程度の高い報酬を受ける。

 当時の Venezia 共和国には Arte dei Suonatori という、Venezia 在住の音楽家の職業組合があったが、古典派の時代に入ってからその全般的な芸術様式の変化と共に、音楽界に於ける器楽奏者の重要性が高まり、当初この音楽家の組合はその他の手工業等の同業者組合と同等の地位に置かれていたが、1789 年になると共和国の議会によって 「自由な芸術家」 という、それ以前よりも高い社会的地位が認められるようになった。
こういう状況の下、Dragonetti 家では Domenico に正式な音楽教育を与える事が出来る様な経済的状況には恵まれていなかったために、野心的な Domenico は既に経験を重ね知名度も高い音楽家達に、自身の能力とその抱いている大望に注意を向けて貰うという目的の為に、この Arte dei Suonatori という組織に 1781 年か又はその少し後に加入している。

 この頃の Dragonetti は、Soprano 歌手であった Brigida Giorgi Banti (1757–1806) と共に、Venezia の Caffè、Hotel や路上で演奏する事によって生活の費用を稼いでいた。
これ等の活動によって、既に演奏能力の高かった Dragonetti は市内中ですぐに知られる様になり、その結果 Venezia 市内で Opere buffa を上演していた、„San Samuele”、„San Moisè” や „San Cassiano” という大きな劇場との契約を得る事が出来る様になった。

 当時の Venezia 共和国に於いて最も名望があり、また最も優れた演奏が出来た楽団は、古くからの長い伝統を有する Basilika di San Marco の大聖堂楽団であった。
この楽団の一員になるという事はあらゆる音楽家にとって、その後に続く国際的な成功を収める為の、非常に有望な足掛かりになり得るという意味があったので、Dragonetti もこの頃それを自身の目指す目的と考えた。

 そこで Dragonetti は 1784 年 1 月にその楽団員の採用に応募する。しかし彼の出自の身分が高くない事が問題にされたのか、また彼自身が自分の能力を高く捉え過ぎていたのか、何れにしてもその理由は不明なものの、Dragonetti の応募は San Marco 財務官によって拒否される。
その後この初回の応募から 3 年経過した 1787 年 9 月 13 日に至って Dragonetti は、25 Dukaten の年俸を以て楽団に 5 人いる Kontrabaß 奏者の 5 番目として漸く採用される事になった。

 

 


この先は次回
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へ続く

 

 


上部の写真:


Basilica di San Marco

Venezia

 

 

 

 

 

 

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