Kommentar 2016 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Domenico Carlo Maria Dragonetti

 


Teil 4

 

 

 

 

 

 

 


»Domenico Carlo Maria Dragonetti Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2016 Nr. 6]
より続く

 


Beethoven を始めとする
数多くの著名な作曲家と親交を結び
最初の国際的な Kontrabaß の名奏者として
後期古典派及び Roman 派に於ける
独立した Kontrabaß 奏法の発展に多大な功績を遺した
Domenico Carlo Maria Dragonetti
について

 

 Domenico Carlo Maria Dragonetti (1763-1846) が 1794 年に Venezia から London に渡って、King’s Theatre の Orchester に加わって演奏を始めた当初は、その劇場での演奏はその年だけに限るという予定で、公式には Basilica di San Marco の大聖堂楽団から与えられた、5 年間の休職期間中にあったという事実もあり、彼はその後も継続して Lonodon に居住するという事迄は考えていなかった。

 しかし Dragonetti が London の聴衆から受けた熱烈な歓待と、King’s Theatre から与えられた特別な待遇と最上級の報酬、またそれに加えて 1797 年 5 月 14 日に Venezia が Napoléon の軍隊に占領されて共和国が崩壊したという事実も重要な理由の一つと考える事が出来るが、予定に反して Dragonetti はその後の活動の拠点を London に据える事となった。

 Dragonetti は King’s Theatre から安定したという以上の生活の基盤を与えられていたが、その劇場専属 Orchester の中での演奏の他に、彼の楽器奏者としての名技と音楽性を披露する演奏会を London 以外の各地でも開催し、英国全土に及んだこの催し物に於いて、地方各地の聴衆は熱狂的な反応を示した。そしてそれ等の演奏会に於いて Dragonetti は、場合によっては高名な声楽家にしか期待する事の出来ない、多額な収益を得るという様な成功をその後の 10 年以上に亘って収め続けた。

 しかし Dragonetti の英国の音楽界に於ける、次第に誰の目にも明らかになって来たその特別な地位は、長い目で見ればこれ等の各地方での単発の成功によると言うよりは、毎回改めて賛美され続けた King’s Theatre 及び Theatre Royal, Drury Lane に於ける演奏と、London に於いて行われた数多くの予約演奏会によって、当地の聴衆の心を継続的に引き付けたという事に基づいていたと考える事が出来る。

 この Dragonetti による影響が少なからずあったと考えられるが、それ迄の演奏会の批評が声楽家個人の演奏に主だった焦点が当てられていたのに対して、次第に一人一人の器楽独奏者にも注意が向けられる様になり、ひいては Orchester 等も含めた演奏団体全体の質に対して、より繊細な感覚が向けられる様になって来たというこの頃の変化を見て取る事が出来る。

 Dragonetti が King’s Theatre の Orchester に加わった同じ 1794 年に、South Yorkshire の Rotherham 出身の Violoncello 奏者、Robert Lindley (1776–1855) も同 Orchester の団員となった。
England に於いてそれぞれの楽器の最良の奏者と言われたこの両者は、その後 50 年間にも及ぶ音楽的連携関係をこの時に結ぶ事になる。

 この両者は最初に Secco-Rezitative に於ける演奏の仕方から始めて、特にこの時代の英国の Orchester の特別な演奏様式上の特徴として認められた、低弦楽器の演奏法を作り上げた。
Dragonetti と Lindley は Orchetser の中で一つの譜面台を使って並んで演奏したが、その事によって必要に応じて共通の Baß 声部を Violoncello と Kontrabaß に分離したり、また各々が即興で演奏出来るという状況が作られた。
Oper を演奏する上での必要に基づいて訓練された、この 2 つの楽器の協調によるこういう演奏は、古い音楽を定期的に演奏していた „Ancient Concerts” や、この時期 Argyll Rooms を会場としていた Philharmonic Society 主催の演奏会に於いて、音楽的に程度の高い上演を求めるならば、この 2 種の低弦楽器による音楽的基盤としての役割は、実際上のとても重要な価値を持っているという事がこの両者によって示されたという事になる。

 „Ancient Concerts” は古い音楽の定期的な演奏を目的として、1776 年に London に於いて設立された。
規定では少なくともその時点で 20 年以上前に作曲された作品の演奏を行うと定められているが、同時代のものよりも意図的に前の時代の音楽の演奏を目的とする組織としては、これが世界で歴史上最初のものとなる。
当初は年間 12 回の演奏会が開催され、Georg Friedrich Händel (1685-1759) の作品を中心として、その他に Arcangelo Corelli (1653-1713) や Francesco Geminiani (1687-1762) 等の作品も採り上げられた。
これ等の作品は何れも Barock 時代に属していて、通奏低音の演奏様式によって演奏されるものだが、18 世紀中頃に於ける Barock 時代の終焉と共に、通奏低音奏法の伝統も次第に途絶えて行き、この時代の奏者にとっては既に通奏低音の奏法が疎遠なものとなって来ていた。

 一方 1813 年に同じく London に於いて創設された Philharmonic Society は „Ancient Concerts” に対して、同時代の器楽曲の可能な限りの最良の演奏を目的として設立された組織で、同種のものとしては Leipzig で 1743 年に設立された、Großes Concert (1781 年より Gewandhaus-Konzert に改称) に次いで歴史上 2 番目となる。
この組織は定期的に開催された公開演奏会の他に、作曲家から献呈された作品の演奏や、また作曲家への作品の依嘱も数多く行っている。

 後の 1817 年には Wien の Ludwig van Beethoven (1770-1823) に対して 2 曲の Symphonien の作曲を依嘱し、その 7 年後に 1 曲目が Symphonie in d-moll として完成し、初演は 1724 年 5 月 7 日に Wien に於いて行われたが、その翌年の 3 月 21 日に London 初演がこの組織の演奏会として、George Smart (1776-1867) の指揮によって行われている。
この Beethoven にとっては 9 曲目となる Symphonie に次ぐ、Philharmonic Society によって依嘱された 2 曲目の Symphonie の作曲にも Beethoven は着手したが、完成する迄には至らなかった。

 

 


この先は次回
»Domenico Carlo Maria Dragonetti Teil 5«
[Archiv / Kommentar 2016 Nr. 8]
へ続く

 

 


上部の写真:


右手前の建物が
Philharmonic Society の創設期から
その演奏会場として利用された
Regent Street の
Argyll Rooms


この絵の建物は改築によって 1820 年に完成し
1830 年の焼失まで使用された
その後も Argyll Rooms は同地に再建されている


England の風景画家
William Westall (1781-1850) による
Graphite 画

1825 年制作

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.