Kommentar 2017 Nr. 1

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Domenico Carlo Maria Dragonetti

 


Teil 6

 

 

 

 

 

 

 


»Domenico Carlo Maria Dragonetti Teil 5«
[Archiv / Kommentar 2016 Nr. 8]
より続く

 


Beethoven を始めとする
数多くの著名な作曲家と親交を結び
最初の国際的な Kontrabaß の名奏者として
後期古典派及び Roman 派に於ける
独立した Kontrabaß 奏法の発展に多大な功績を遺した
Domenico Carlo Maria Dragonetti
について

 

 Domenico Carlo Maria Dragonetti (1763-1846) は彼が生まれ育ち、活動の初期の段階を過ごした Venezia 共和国が、渡航に関しては厳しい国であった事や、その後 Venezia 共和国が終焉を迎える事にもなった Napoléon 戦争による混乱、また長い活動の本拠地となった London で確立される事となった、その音楽界に於ける非常に恵まれた待遇とその地位等から、同時代の他の名演奏家達とは異なって、長期の演奏旅行で各地を巡るという事は余りしなかった。

 そういう経緯があってか、1845 年に Beethoven の生地の Bonn 市が、初めて Beethoven 音楽祭を開催する事になると、Dragonetti は当時既に 82 歳という年齢ではあったが、Dover 海峡を渡って Bonn に迄行く事をためらわず、そこで行われた Beethoven の Symphonie Nr. 5 in c-moll, op. 67 の演奏に、その時集まった 13 人の Kontrabaß 奏者の首席奏者として参加した。
その音楽祭に Paris から参加した Hector Berlioz (1803-1869) は、その演奏会について 「この作品をその様な力強さと完成度で以て演奏されたのを、未だ嘗て聞いた事が無かった」 と伝えている。

 しかし当時 London から Bonn 迄の全く楽では無かったこの長い旅行が、それ迄は屈強と言える程安定していた Dragonetti の健康状態を損ねる事となり、これ以後彼は定期的に医者の治療を受けなければならない様になってしまう。
その頃の Dragonetti に対して出された処方箋の幾つかが伝えられているが、それ等から恐らくその時の強い下剤を使った治療法が、更に彼の体力と健康状態を弱まらせたのでは無かったかと推測されている。
Dragonetti はそれが原因となって、その年の冬には現役の演奏活動からの引退を余儀なくされる。

 Dragonetti の健康状態はその後も更に悪化の一途を辿り、翌 1746 年の 4 月 4 日には Musical World 誌が Dragonetti の水腫を伝え、それが治る見込みは無いだろうと書いている。
Dragonetti はそれから間も無いその月の 16 日に亡くなり、24 日に London の Finsbury Circus と Blomfield Stree の角にある、London 市内で唯一のカトリックの教会、St Mary Moorfields に埋葬された。

 Dragonetti は生前数多くの女性との面識と交友関係があったが、それは恐らく精神的な面に限られていたと考えられており、その生涯を独身で通した。
ただその遺産に残された手紙から、彼が Venezia を発って London に向かう時に、Teresa Battagia という若い女性に失恋した事が分かっている。
その後 London に移ってからは、社交界での交際関係が制限される事を嫌い、自由で気儘な立場に留まる事を好んでいた。

 Dragonetti が亡くなった時、London の Coutts & Co. 銀行の口座には £ 937.17 という預金残高が残されていたが、それはその後の遺産管理人による財産整理を経て、更に £ 1,007.12 にまで膨らんだ。
その当時 London の Orchester 奏者の中のかなり多くの人達が、非常に心もとない状況の中でその職業に従事せざるを得なかった一般的な社会状況の中、Doragonetti は異例に大きな財産を築き上げて亡くなったと言う事が出来る。

 家庭を築く事の無かった Dragonetti は、そのためにその 59 条に迄及ぶ長大な遺言の中で、親戚、親しい友人、幾つかの公的機関と、その中でも特に音楽の仕事仲間達に対しては、有価証券、貴重品、美術品や楽器等の非常に寛大な遺贈で以て十分に配慮している。
唯一残されたと言われている Italia の Violine 奏者で作曲家の Antonio Capuzzi (1755-1818) による Konzert für Kontrabaß und Orchester の手稿譜を始めとする、Dragonetti が長い年月に亘って蒐集した数多くの楽譜と手稿譜類には、とても貴重なものが含まれている。
Dragonetti が亡くなる少し前の 1840 年から 1843 年迄、彼が埋葬された St Mary Moorfields の Organist を務めており、また同時に音楽出版社も経営していた Vincent Novello (1781-1861) は、この Capuzzi による手稿譜を遺贈されたが、1849 年にこれを大英博物館に寄贈している。

 Dragonetti が未だ若かった 1787 年に採用された、Basilica di San Marco の大聖堂楽団を管理していた San Marco 財務官が、その 4 年後の 1791 年に買い取って彼に与えた、Gasparo da Salò (Gasparo Bertolotti、1540-1609) による大変貴重な Kontrabaß は、Dragonetti の遺言に従って San Marco 財務官に返却される事となり、この楽器は厳重に梱包されて、1847 年 7 月 17 日に London から Venezia に到着した。
その後この楽器はその時の運搬に使用された頑丈な木箱の中で長い期間保管され続けたが、2007 年に修復作業が行われ、それ以来 Basilica di San Marco の美術館に於いて公開されている。

 

 


上部の写真:


Dragonetti が埋葬された
London の
St Mary Moorfields


John Newman (1786-1859)
の設計によって
1820 年に完成したこの教会は
London 市内に於ける唯一のカトリックの教会


この建物は 1899 年に取り壊され
1903 年に Eldon Street に
現在に迄至る新しい建物が建設された

この折に Dragonetti の亡骸は
Wembley のカトリック墓地に改葬された

 

 

 

 

 

 

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