Kommentar 2017 Nr. 6

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 1«
[Archiv / Kommentar 2017 Nr. 5]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 Antonio Salieri (1750-1825) を Wien へ連れて行った時期には、皇帝 Franz I. Stephan (1708-1765) の宮廷作曲家で、その後 1772 年 3 月に Wien の宮廷楽長となっていた Florian Leopold Gaßmann (1729-1774) が、最後の Italia 旅行の時に負った事故の後遺症が原因で 1774 年 1 月 21 日に亡くなると、Salieri は彼の後任として同年 2 月 7 日に、皇帝の宮廷作曲家及び Italia 語 Oper 劇場の宮廷副楽長に任命される。

 翌年 10 月 10 日に Salieri は、Wien の法廷財務官の娘の Therese Helferstorfer と結婚する。
Therese Helferstorfer は Josepha Barbara Auernhammer (1758-1820) の従姉に当たるが、後に作曲もする Klavier 奏者となった Auernhammer は、1781 年以降 Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) に師事しており、何度か演奏会で Mozart と共演をする等、2 人は大変親しい間柄にあった。
彼女は 1786 年の結婚後も演奏活動を続け、Wien の宮廷劇場の演奏会に定期的に出演していたが、同劇場に於いて 1801 年 3 月 25 日に開催された演奏会では、その直前に出版されたばかりの Ludwig van Beethoven (1770-1827) の、Konzert für Klavier und Orchester in C-dur (Nr. 1, op. 15) を演奏している。

 Franz I. Stephan の後を継いだ皇帝 Joseph II. (1741-1790) が、独語による国民的 Singspiel を推し進める政策を取った結果、1776 年に Wien の Italia 語 Oper 劇場が閉鎖されると、Salieri はこの機会に故国 Italia への長期の楽旅に出る。
その楽旅では 1776 年に火災で焼失した Teatro Regio Ducale の代わりに、Milano に於いて新しく建造された Teatro alla Scala の杮落し公演の為の契約を得る事が出来、1778 年 8 月 3 日の開幕日に、Dramma per musica „L’Europa riconosciuta” (再認識された Europa) が初演されて成功を収める。

 同様にその同じ年の 12 月 27 日に、Venezia の Teatro S. Moisè に於いて、Dramma giocoso „La scuola de’ gelosi” (嫉妬の学校) が初演される。
その他にも 1779 年には Milano の Teatro alla Canobbiana、その年とその翌年は Roma の Teatro Valle で同様に大きな成功を収める。

 1780 年に Wien に戻った Salieri は、皇帝 Joseph II. の希望に従って独語による Singspiel と、前年に Paris より Wien に戻った Christoph Willibald Gluck (1714-1787) を師として、仏語による Tragédie lyrique の作曲にも力を注ぐ様になる。
1781 年 4 月 30 日に、Salieri の初の Singspiel „Der Rauchfangkehrer oder Die unentbehrlichen Verräter ihrer Herrschaften aus Eigennutz” (煙突掃除人、または利己心からの主人に対する欠く事の出来ない裏切り者達) が Wien の宮廷劇場で初演された。

 この Singspiel は „Die bestraften Spröden oder Der listige Kaminfeger” (罰せられた脆弱者達、または悪賢い煙突掃除夫) という別の表題でも上演されている。
打診法を発明した Wien の医者で、同時に台本作家でもあった Leopold von Auenbrugger (1722-1809) によるこの作品の台本は、厳しい批判に晒されたものの、Salieri による音楽と、Sopranist の Catarina Cavalieri (1755-1801) や、Baß 歌手の Ludwig Franz Josef Fischer (1745-1825) 等の優れた歌手達の配役によって、作品の公演としては大きな人気を博する事が出来た。

 この Salieri による Singspiel は各所に、„Die Entführung aus dem Serail” (Sultan 宮からの誘拐) や、„Le nozze di Figaro” 等の、後の Wolfgang Amadeus Mozart の作品にはっきりとした影響を与えている部分があるのを見る事が出来る。
実際に Mozart はこの Singspiel の総譜を 6 Dukaten で購入しており、更に後にはこの Singspiel の印刷された台本を入手しようとしていた事も分かっている。

 この Singspiel の初演に参加した歌手の一人で、Mainz 出身の Ludwig Franz Josef Fischer は、その時代の最も有名な Baß 歌手であったが、特に D から a’ にまで及んだ広い音域と、それらの音を軽く透明感のある響きで正確に歌う事が出来たという、とても優れた歌手であった。
Salieri はこの Fischer の歌唱に触発されて、この Singspiel 中の Herr von Bär の役を彼の為に書いている。
この初演の翌年の 7 月 16 日に初演が行われた Wolfgang Amadeus Mozart による、„Die Entführung aus dem Serail” (KV 384) の公演でも Fischer は歌っているが、Mozart はこの Singspiel 中の Osmin の役を、Fischer が歌うという事を前提に彼の為に書いている。

 また Wien の出身で Salieri の下で勉強をした Catarina Cavalieri も、当時の大変有名な歌手の一人で、広い音域、力強いが透き通った響きや機動性等が大変優れていた。
Ludwig Franz Josef Fischer と同じく彼女も、翌年の Mozart の „Die Entführung aus dem Serail” の初演で歌っており、その Konstanze の役は彼女を想定して作曲されている。
これ以降も Mozart は、1785 年の Kantate „Davidde penitente” (KV 469) の Soprano 独唱声部、1786 年の Singspiel „Der Schauspieldirektor” (劇場支配人、KV 486) の中の歌手 Mademoiselle Silberklang の役、Dramma giocoso „Don Giovanni” (KV 527) の、1788 年の Wien 初演版の Donna Elvira の役等を、Catarina Cavalieri の為に書いている。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 3«
[Archiv / Kommentar 2017 Nr. 7]
へ続く

 

 


上部の写真:


Salieriによる
„Der Rauchfangkehrer”


第1幕の冒頭

総譜の手稿譜


1781 年

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.