Kommentar 2017 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 3

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 2«
[Archiv / Kommentar 2017 Nr. 6]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 Antonio Salieri (1750-1825) にとって初の Singspiel となる „Der Rauchfangkehrer oder Die unentbehrlichen Verräter ihrer Herrschaften aus Eigennutz” (煙突掃除人、または利己心からの主人に対する欠く事の出来ない裏切り者達) が、1781 年 4 月 30 日に Wien の宮廷劇場で初演されて成功を収めたのに続いて、Salieri は Pfalz 及び Bayern 選帝侯 Carl Philipp Theodor (1724-1799) より Oper 作曲の依嘱を受け、Wien の宮廷詩人 Pietro Metastasio (1698-1782) の台本に基づいた Opeer „Semiramide” を作曲した。

 Metastasio が Oper 用の台本として書いた „Semiramide riconosciuta” (再認識された Semiramide) の内容は、古代ギリシャ時代の歴史家達が記述している伝説の女王 Semiramis に基づいている。
この Semiramis は、配偶者の Assyria 王 Šamši-Adad V. (在位 823–811 v. Chr.) の没後、息子の Adad-nīrārī III. (在位 811–782 v. Chr.) が未成年の間、Assyria 帝国を統治した歴史上の女王 Šammuramat と同一視される事がある。

 Semiramis の素材は長きに亘って詩人、劇作家や画家に大変好まれ、多くの芸術家達がその作品の素材として採り上げている。
Semiramis が息子の姿に変装して国を統治したという人物像は、古代 Roma 帝国の歴史家 Marcus Iunianus Iustinus の記述に端を発するが、España の作家 Cristóbal de Virués (1550-ca. 1614) による „La gran Semíramis” (1609) 以降、数多くの作家達によって採り上げられており、Metastasio による „Semiramide riconosciuta” もその一つとなっている。

 この Metastasio による台本は特に好評を博し、1729 年 2 月 6 日に Roma の Teatro delle Dame に於いて初演された、Italia の Barock 時代の作曲家 Leonardo Vinci (ca. 1690-1730) が作曲したものを最初として、合計で 38 の Oper に用いられており、Salieri によるものはその中の 37 番目に当たる。
Salieri はこの „Semiramide” の上演の為に 1782 年初頭に München に赴き、謝肉祭の期間中に当地の宮廷劇場に於いて初演され、大変大きな成功を収める。

 1776 年に閉鎖された Wien の Italia 語 Oper 劇場が 1783 年になって再開される事となると、Salieri はその劇場の楽長に任命されて、1778 年に Venezia に於いて初演された Dramma giocoso „La scuola de’ gelosi” (嫉妬の学校) の改作を行い、その第 2 版を以てこの劇場の新規の公演を開始した。

 これに続いて Salieri は、1780 年に Paris より Wien に戻った、Salieri にとっては大変重要な後援者で友人ともなった Christoph Willibald Gluck (1714-1787) の計らいによって、Paris の為に Oper を書く機会を得る。
この結果生まれたのが 5 幕の Tragédie lyrique „Les Danaïdes” で、Italia の詩人で台本作家の Ranieri de’ Calzabigi (1714-1795) による伊語の „Ipermestra o Le Danaidi” を基に、François-Louis Gand Le Bland Du Roullet (1716-1786) と Jean-Baptiste-Louis-Théodore de Tschudi (1734-1784) が仏語で書いた台本に作曲されている。
Wien から嫁いだ France 国王妃 Marie Antoinette (1755-1793) に献呈されたこの Tragédie lyrique の初演は、1784 年 4 月 26 日に Opéra de Paris に於いて行われた。

 最初この作品は Christoph Willibald Gluck と Salieri の両者による共同制作と告知されていたが、初演が圧倒的な成功を収めた後に Gluck は、名高い Journal de Paris 紙上に於いて、この作品が Salieri の単独の作曲によるものである事を発表した。
1771 年に Wien の宮廷劇場で初演された „Armida” をその始めとし、1778 年に Milano の Teatro alla Scala の開幕公演に於いて初演されて成功を収めた „L’Europa riconosciuta” (再認識された Europa) を経て、この „Les Danaïdes” を以て Salieri は、Oper の改革を推進していた Gluck の直接の後継者という地位を獲得する。

 Opéra de Paris に於いて大成功を収めた „Les Danaïdes” は、その後 1827 年に至る迄の間に、合計 127 回この劇場の上演演目に上がっており、またその初演の直後から各国語に翻訳されて、Europe の数々の都市でも上演されている。
また Salieri の同時代人に限らず、Ludwig van Beethoven (1770-1827) を始めとして、Gaspare Spontini (1774-1851)、作家の Victor Hugo (1802-1885)、また次に来るべき Roman 派に属する作曲家の Hector Berlioz (1803-1869)、Franz Liszt (1811-1886)、Richard Wagner (1813-1883)、Charles François Gounod (1818-1893) に至る迄、数多くの専門家による嘆美者を生み出して来た。

 医者の父親の意向に従って 1821 年に Paris に出て、大学で医学の勉強を始めていた Hector Berlioz は、その後医学の道に進んでいく事に常にためらいを感じており、一時的に法学に転向する事も試みるという様な事もあった。
しかし医科大学に入学した翌年の 1822 年に、Opéra de Paris で行われた Salieri の „Les Danaïdes” の公演に同席した Berlioz は、この作品に対する溢れるばかりの感激に満たされて、遂にその翌年の 1823 年に父親の強い反対にも拘らず、医学の道に進む事を断念し、それ以後の人生を音楽に捧げるという決心をした。
そして最初は Parais 音楽院で教鞭を執っていた作曲家の Jean-François Lesueur (1760-1837) に私的に師事して作曲を学んだ。その後 1826 年からは音楽院の正規の学生となり、Firenze 出身の Italia の作曲家 Luigi Cherubini (1760-1842) と、Praha 出身の Bohemia の作曲家 Anton Reicha (1770-1836) の両者の下で作曲を学ぶ事が出来、行く行くは France の Roman 派を牽引して行く代表的な作曲家に育って行く事になる。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 4«
[Archiv / Kommentar 2017 Nr. 8]
へ続く

 

 


上部の写真:


„Les Danaïdes” の初演の年に
Paris に於いて出版された
初版総譜の
France 国王妃への献辞


「 [・・・]
劇音楽の創造者にして
それを最高の完成度に迄引き上げ
または
そこに迄到達する事が可能な
崇高な俊才である
名高い騎士 Gluck の指導の下
その目前で私はこの作品を書き上げました
[・・・] 」

 

 

 

 

 

 

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