Kommentar 2018 Nr. 2

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 6

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 5«
[Archiv / Kommentar 2018 Nr. 1]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 1783 年 1 月に母親 Elizabeth と共に Wien に移住して来た、Italia – England 系の Soprano 歌手 Nancy Storace (1765-1817) は、Antonio Salieri (1750-1825) が 1778 年に Venezia の Teatro San Moisè の為に作曲し、同年 12 月 27 日に初演された Dramma giocoso „La scuola de’ gelosi” (嫉妬の学校) を、この年に Wien で再演する為に新たに改定した第 2 版の公演に於いて、伯爵夫人 Bandiera の役を歌って Wien に於ける début を飾っている
この公演は 1783 年 4 月 22 日に Wien の Burgtheater に於いて行われたが、初登場の公演で早速大成功を収めた Nancy Storace は、それ以来 Wien の宮廷劇場に於いて、異例の高給で雇われて活動を続ける事になる。

 その年に Nancy Storace は Domenico Cimarosa (1749-1801) の大きな成功作の一つ、Opera buffa „L’Italiana in Londra” (London の Italia 人) や、Giovanni Paisiello (1740-1816) の同じく大成功作の一つ、Dramma giocoso „Il barbiere di Siviglia” の公演等に出演し、また翌年の 8 月 23 日には Wien の Burgtheater に於いて、皇帝 Joseph II. (1741-1790) の依嘱によって同じく Giovanni Paisiello によって作曲された、Opeer „Il re Teodoro in Venezia” (Venezia の Teodoro 王) の初演にも出演している。

 Tragédie lyrique „Les Danaïdes” の初演、及びそれに続く公演で大きな成功を収めて、1784 年 7 月に Wien に戻った Salieri がそれに次いで取り組んだのが、3 幕の Dramma giocoso、„Il ricco d’un giorno” (一日成金) であった。
この作品の創作作業を進める際に Salieri は、その主人公 Emilia の作曲に当たって、Nancy Storace を念頭に置いてその作業を進めていた。しかし Emilia の声部が自分には合わないという理由で、Nancy Storace は公演の直前になって出演を辞退するという事があった。
この作品の初演は 1784 年 12 月 6 日に Wien の Burgtheater に於いて行われたが、Nancy Storace の代役として相応しい歌手を見出す事が時間的な制約からも出来なかったというのが大きな理由の一つとなり、6 回の公演を以て劇場の演目から外されるという大失敗を喫する事となった。

 1784 年には Nancy の兄の Stephen Storace (1762-1796) が、Napoli で亡くなった父親 Stefano の遺産の整理を終えて、妹と同じく Wien に来る。
恐らく Nancy を通して得たと考えられる、Oper 作曲の依嘱を Stephen は Wien で受け、1785 年 6 月 1 日にその最初の作品となる Opera buffa „Gli Sposi malcontenti” (不満な新郎新婦) が、Wien の Burgtheater に於いて初演される事となった。
この公演にも当然の事乍ら Nancy Storace は主役として出演していたが、第 1 幕の途中で彼女は急に声を失い、それ以降全く歌う事が出来なくなってしまい、公演は失敗してしまう。

 Nancy Storace は Wien に移り住んだ翌年の 1784 年 3 月 29 日に、同じくその年に England より Wien に移って来た、彼女よりも 21 歳年長の Violine 奏者、John Abraham Fischer (1744-1806) と結婚している。
Violine 奏者としての評価を既に獲得していた Fischer との結婚は、当初華々しく話題にもなった様だが、その後の Fischer の Nancy Storace に対する不当な態度は次第に度を越したものとなり、遂には暴力を振るうに迄至って、これ等の事は宮廷劇場での Oper の公演に積極的に関与していた 皇帝 Joseph II. (1741-1790) にも伝えられ、Fischer は皇帝によって Nancy と離婚の上、国外への追放処分に処される事となった。

 そもそも 1784 年 12 月 6 日に行われる事となっていた、Salieri による „Il ricco d’un giorno” の初演の間近になって、Nancy が急に主役を降りたのは、この Fischer との関係による心労が原因で病気になったというのが、本当の理由ではないかとも推測されているが、その後翌年 6 月 1 日の兄の作品の初演に於ける事件の場合は、同じ原因による神経衰弱で声を失ったと考えられている。
この時 Nancy Storace は妊娠 8 箇月目を越えており、この公演の後同 6 月に出産を迎えているが、その娘 Josepha はその誕生の翌月の 7 月 17 日には亡くなっている。
舞台上で歌う事が全く叶わなくなってしまった Nancy Storace が再び歌えるようになる迄には、この後数箇月の時間を要する事となった。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 7«
[Archiv / Kommentar 2018 Nr. 3]
へ続く

 

 


上部の写真:


Suisse の画家で銅版画家の
Pietro Bettelini (1763-1829)
による
Nancy Storace の
彩色銅版画

1788 年 London に於いて制作

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.