Kommentar 2018 Nr. 3

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 7

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 6«
[Archiv / Kommentar 2018 Nr. 2]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 1783 年 4 月以来 Wien の宮廷劇場に於いて活躍していた、Italia – England 系の Soprano 歌手 Nancy Storace (1765-1817) が、1785 年 6 月 1 日に Wien の Burgtheater に於いて行われた、Nancy の兄の Stephen Storace (1762-1796) の作曲になる最初の作品、Opera buffa „Gli Sposi malcontenti” (不満な新郎新婦) の初演に於いて、Nancy の配偶者の Violine 奏者 John Abraham Fischer (1744-1806) が原因となる神経衰弱症によって急に声を失い、それ以降全く歌う事が出来なくなってしまってから、彼女の声が恢復して舞台に立てる様になる迄には、それ以後数箇月の時間を要する事となった。

 その後その年の 9 月 19 日になって、この前年の 8 月 23 日に Wien の Burgtheater に於いて Nancy Storace も出演して初演が行われた、皇帝 Joseph II. (1741-1790) の依嘱により Giovanni Paisiello (1740-1816) が作曲を担当した、Oper (Dramma eroicomico) „Il Re Teodoro in Venezia” (Venezia の王 Teodoro) の公演に於いて、Nancy Storace は漸く舞台に復帰する事が出来た。

 その Nancy Storace の舞台復帰の丁度 1 週間後に当たる、9 月 26 日付けの Wien の日刊紙 „Das Wienerblättchen” と、翌 10 月 18 日付の同 „Wiener Realzeitung” 紙上に以下の様な広告が掲載されている。

 


人々のお気に入りの名歌手
Storace 夫人の幸いな恢復の為に
帝室王室宮廷劇場詩人 [sic] の 世俗司祭 da Ponte 氏が
Italia 語による祝賀の詩を創作した。
„Per la recuperata salute di Ophelia” [と題するこの詩] は
3 人の高名な楽長達
Salieri、Mozart と Cornetti
によって作曲され
Pianoforte の伴奏によって歌われる。
Michaelsplatz の芸術出版社 Artaria & Comp. に於いて
17 Kreuzer で入手可能。

 


 この広告に書かれている作品の標題中の „Ophelia [Ofelia]” というのが Nancy Storace を指している。
Ofelia という名前は、その前年の 12 月 6 日に初演を迎えた、Salier による 3 幕の Dramma giocoso、„Il ricco d’un giorno” (一日成金) に次ぐ舞台作品として彼が書いた、2 幕の Dramma giocoso „La grotta di Trofonio” (Trofonius の洞窟) 中の、Mezzosoprano によって歌われる役名だが、この Ofelia の役を Nancy Storace が歌ってその初演がこの年の 6 月に、Wien の南方凡そ 20 km に位置する皇帝の夏の離宮の一つ、Laxenburg の帝室宮廷劇場に於いて行われる事が予定されていたが、Nancy Storace の 6 月以降の出演不能により、延期されていたという事に由来している。

 Lorenzo Da Ponte (1749-1838) による詩に、上記の 3 人が作曲をした „Per la ricuperata salute di Ophelia” (Ophelia の健康の恢復の為に) と題されたこの Kantate は、1785 年 9 月に作曲されたと推測されている。
しかしこの曲の作曲者の一人、 Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) は、1784 年 2 月以降彼が亡くなる迄の間、その期間に作曲した全自作品の目録を書き留めているが、そこにこの作品は記録されていない。また Da Ponte が詳細に残した „Memorie di Lorenzo Da Ponte” や、Antonio Salieri による彼の自作品目録に関しても同様で、恐らく委託料と引き換えにその全権利が出版社に売却された為ではないかと推測されている。

 3 人目の作曲者に挙げられている Cornetti というのが誰の事を指しているのかは、現在に於いても明らかにはされていない。
10 月 18 日付の „Wiener Realzeitung” 紙上に出された同じ内容の広告では、Cornetti の名前だけが Italic 体で印刷されている事から、偽名ではないかと考えられている。
可能性のある一人として考える事が出来るのは、この作品の構想が Nancy Storace の兄に依っている事から、この頃から作曲活動を始めていたその兄の Stephen Storace だが、彼以外には当時 Wien に於いて Tenor 歌手でまた人気のある声楽の教師として活動していた、Alessandro Cornet の可能性も指摘されている。しかし Cornet は Wien の Artaria & Comp. より何曲かの Duett が出版されてはいるものの、Salieri や Mozart と並んで楽長と呼ばれるには、作曲家としての力量と実績に乏しいと言わざるを得ない。

 

 


Das Wienerblättchen
に掲載された
広告の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 8«
[Archiv / Kommentar 2018 Nr. 4]
へ続く

 

 


上部の写真:


Nancy Storace が
1785 年 9 月 19 日に
舞台に復帰した公演
及びその前年の 8 月 23 日に
Wien の Burgtheater に於ける初演でも歌った
Giovanni Paisiello
による
„Il Re Teodoro in Venezia”


初演時に印刷された台本の表紙

1784 年

 

 

 

 

 

 

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