Kommentar 2018 Nr. 6

 

 

 


Ludwig van Beethoven


und


seine Zeit

 

 


Antonio Salieri

 


Teil 10

 

 

 

 

 

 

 


»Antonio Salieri Teil 9«
[Archiv / Kommentar 2018 Nr. 5]
より続く

 


Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について

 

 皇帝 Franz I. Stephan (1708-1765) と Austria 大公女 Maria Theresia (1717-1780) との間の第 5 子 4 女の Austria 大公女 Maria Christina (1742–1798) は 1766 年に、Sachsen 選帝侯 Friedrich August II. (1696-1763) と Austria 大公女 Maria Josepha (1699–1757) との第 13 子 6 男の Albert Kasimir von Sachsen (1738-1822) と結婚し、1780 年にそれ迄 Austria 領 Nederland の総督であった Karl Alexander von Lothringen (1712-1780) が亡くなると、この両者は Maria Theresia の意志によってこの地位を継ぐ事となった。

 皇帝 Franz I. Stephan の没後皇帝位を受け継いでいたその長男で、Maria Christina よりも 1 歳年長の兄に当たる皇帝 Joseph II. (1741-1790) は、Maria Christina との結婚の折に、前皇帝で義理の父親に当たる Franz I. Stephan の残した Teschen の領地を与えられた事からそれ以降 Teschen 公爵を名乗っていた、Albert Kasimir von Sachsen と Maria Christina の夫妻を Wien に招いた。

 1785 年から翌年に掛けての厳しい冬の季節に Wien を訪れた妹夫妻を、兄の皇帝 Joseph II. は丁重にもてなしたが、その折の催物の一つとして 1786 年 2 月 7 日に、Schönbrunn 宮殿の庭園の東側に位置する Orangerie に於いて、„Frühlingfest an einem Wintertage” (冬の日の春の祝宴) と銘打った催物を開催した。
その祝宴の為に Joseph II. は、Antonio Salieri (1750-1825) と Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の 2 人にそれぞれ、1 幕の Oper の作曲を委嘱した。

 その結果 Giovanni Battista Casti (1724-1803) の台本に Salieri が作曲した Divertimento teatrale „Prima la musica poi le parole” (最初に音楽、それに次いで言葉) と、Johann Gottlieb Stephanie d. J. (1741-1800) の台本に Mozart が作曲をした Singspiel „Der Schauspieldirektor” (劇場支配人、KV 486) が完成され、両作品共にこの催物の当日に Orangerie に於いて初演された。

 „Prima la musica poi le parole” の台本を担当した Giovanni Battista Casti は、Salieriが 1784 年に Lorenzo Da Ponte (1749-1838) の台本による 3 幕の Dramma giocoso „Il ricco d’un giorno” (一日成金) で大きな失敗を喫したその翌年に、Wien の宮廷詩人の地位を巡る確執に於いて Lorenzo Da Ponte の敵対者であった Casti を台本作者に選び、2 幕の Dramma giocoso „La grotta di Trofonio” (Trofonius の洞窟) で大きな成功を収めたという Italia の詩人及び台本作家であり、今回は „Il ricco d’un giorno” に次ぐ Salieri との 2 度目の共同作業となった。

 一方 „Der Schauspieldirektor” の台本を書いた Johann Gottlieb Stephanie d. J. は、1782 年に初演されて大きな成功を収めた、Wolfgang Amadeus Mozart による 3 幕の Singspiel „Die Entführung aus dem Serail” (Sultan 宮からの誘拐、KV 384) に於いて、Mozart と初めて共同作業を行った Austria の俳優及び劇作家で、同じく今回が Mozart との 2 度目の仕事となった。

 „Die Entführung aus dem Serail” は、今回と同様に皇帝 Joseph II. の依嘱によって完成された作品であったが、皇帝 Joseph II. はそれ迄専ら Italia 語によって培われて来た宮廷 Oper に対して、独語に拠る国民的 Singspiel を育成する事を目指しており、この前年に初演を迎えた Salieri による初の Singspiel „Der Rauchfangkehrer oder Die unentbehrlichen Verräter ihrer Herrschaften aus Eigennutz” (煙突掃除人、または利己心からの主人に対する欠く事の出来ない裏切り者達) を始めとする、それ以前の Singspiel が殆ど Italia 語による Oper の模倣とその翻訳であったのに対して、„Die Entführung aus dem Serail” は最初の Singspiel 独自の様式に依る作品であり、それ以後の Roman 派の時代に迄至る、Singspiel という作品分野を導く事になる模範的作品となった。

 今回初演された „Der Schauspieldirektor” に於いては、劇場とそれに属する俳優や歌手達の振舞いが喜劇として描かれているが、この筋書も独語に拠る Singspiel が更なる盛名を得る事が出来る様にと考えていた、皇帝Joseph II. 自身の発案に拠るものと伝えられている。

 

 


この先は次回
»Antonio Salieri Teil 11«
[Archiv / Kommentar 2018 Nr. 7]
へ続く

 

 


上部の写真:


Schönbrunn 宮の Orangerie とその庭園

1826 年制作の銅版画

 

 

 

 

 

 

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