Kommentar 2019 Nr. 2
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 14
»Antonio Salieri Teil 13«
[Archiv / Kommentar 2019 Nr. 1]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
皇帝 Joseph II. (1741-1790) による依嘱作品の Divertimento teatrale „Prima la musica poi le parole” (最初に音楽、それに次いで言葉) の初演が、Wien 郊外の Schönbrunn 宮の Orangerie に於いて 1786 年 2 月 7 日に行われた後、作曲者の Antonio Salieri (1750-1825) が取り組んだのは、これより 2 年前の 1784 年に Opéra de Paris に於いて初演された Tragédie lyrique „Les Danaïdes” が大成功を収めた事によって、それから 2 年後の 1786 年初頭に同劇場より依嘱を受けた、3 幕の Tragédie lyrique „Les Horaces” と、5 幕の Tragédie lyrique „Tarare” の 2 つの作品であった。
同年 5 月 1 日に Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の作曲による 4 幕の Opera buffa „Le nozze di Figaro” が Wien の Burgtheater に於いて初演を迎えたが、その時期は Salieri が上記 2 作品の作曲で忙しくしていた時期であり、この初演以前から遅くとも同年 7 月初頭迄の期間に、Salieri は Opéra de Paris からの委嘱作品の作曲及び上演準備の為に、Paris に向けて旅立っていたという事が分かっている。
従って „Le nozze di Figaro” の初演及びその後同年 11 月中旬に至る迄繰り返された、その再演に対する妨害行為に Salieri が加担していたという考えは非常に疑わしい。
実際に妨害行為が行われたというのは事実だが、それは „Le nozze di Figaro” の台本を担当した Lorenzo Da Ponte (1749-1838) に対する、Wien の宮廷詩人の地位を巡る彼の敵対者であった Giovanni Battista Casti (1724-1803) と、これより 20 年以上前の Firenze 滞在時に知り合ってそれ以来彼を気に入っていた、この時には Wien の侍従長官の地位にあり帝室王室宮廷劇場の監督も担っていた、Franz Xaver Wolfgang von Orsini-Rosenberg 伯爵 (1723-1796) をその中心とする一派によるものであった。
しかし „Le nozze di Figaro” がその初演から半年後に Burgtheater の演目から外されたというのは、上記派閥の権謀術策によるものというよりは、この前年の秋に Wien に移り住み、その数年後には舞台作品の分野に於いて Wolfgang Amadeus Mozart と並ぶ程の人気を博する様になる、Valencia の作曲家 Vicente Martín y Soler (1754-1806) による 2 幕の Dramma giocoso „Una cosa rara o sia Bellezza ed onestà” (珍しい事、または美と誠実) に、単に上演演目が代えられたという事に過ぎない。
因みにこの作品は Vicente Martín y Soler が Wien に来て最初に書いた、2 幕の Dramma giocoso „Il burbero di buon cuore” (気難しい善人) と同様、皇帝 Joseph II. による委嘱作であり、台本は Lorenzo Da Ponte が書いている。
また両作品共にその主役を当時 Wien の宮廷劇場に於いて活躍しており、Mozart の „Le nozze di Figaro” では Susanna の役を歌っていた、Italia – England 系 Soprano 歌手の Nancy Storace (1765-1817) が担っており、大きな成功と人気を博す事となった。
Mozart はこれよりほぼ 1 年後に初演を迎える事になる、彼の 2 幕の Dramma giocoso „Don Giovanni” (KV 527) の第 2 幕 Finale に於いて、Martín y Soler の „Una cosa rara” 中の 6 重唱 „O quanto un sì bel giubilo” (歓喜はどれ程大きなものか) の旋律を引用している。
一方 Salieri はこれより 2 年後の 1788 年に Giuseppe Bonno (1711-1788) が亡くなると、その後継者として Wien の宮廷楽長に任命される。
Salieri はその翌年に宮廷劇場の演目に自身の舞台作品では無く、Mozart の „Le nozze di Figaro” を採り上げ、それが初演された 1786 年には計 9 回の公演で演目から外されたのに対して、この時には合計で 29 回の上演を迎えている。
また 1790 年に皇帝 Joseph II. が亡くなると、同年 9 月 30 日にその弟の Toscanaa 大公 Peter Leopold (1747-1792) が選帝侯会議に於いて、その後継者として神聖 Roma 帝国皇帝に選出され、その戴冠式が同年 10 月 9 日に Frankfurt am Main に於いて執り行われたが、その際に Salieri は矢張り自作品では無く Mozart による Missa 曲を携えて同行している。
更に 1791 年 4 月 16 日と 17 日に行われた „Wiener Tonkünstler-Sozietät” (Wien 音楽家協会) 主催の演奏会では、„Eine große Sinfonie von der Erfindung des Hrn. Mozart” (Mozart 氏の創作になる大 Symphonie) として、Mozart が 1788 年の夏に作曲した Sinfonie in g-Moll KV 550 (Nr. 40) が採り上げられている。
この演奏会には Mozart がその為に Quintett für Klarinette und Streicher in A-dur (KV 581) を 1789 年に書き、またこの半年後には Konzert für Klarinette und Orchester in A-Dur (KV 622) を完成させる事になる、彼と親しい Klarinettist の Anton Stadler (1753-1812) と、同じく Klarinettist でその弟の Johann Stadler (1755-1804) が参加しており、この時には 2 本の Klarinetten が編成に加えられた、Sinfonie in g-Moll の第 2 版が Salieri の指揮の下に初演されている。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 15«
[Archiv / Kommentar 2019 Nr. 3]
へ続く
上部の写真:
1791 年 4 月 16 日と 17 日に
帝室王室国民宮廷劇場に於いて行われた
„Wiener Tonkünstler-Sozietät” 主催の
演奏会案内の Poster