Kommentar 2019 Nr. 4
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 16
»Antonio Salieri Teil 15«
[Archiv / Kommentar 2019 Nr. 3]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
Antonio Salieri (1750-1825) による 3 幕の Tragédie lyrique „Les Horaces” に次ぐ作品となる、Prolog 付き 5 幕の Oper „Tarare” の作曲は、Salieri が両作品の初演の為に 1786 年に Paris に向かって Wien を旅立ってから着手されている。
この作品の台本を書いたのは France 啓蒙時代を代表する万能人の 1 人、Pierre Augustin Caron de Beaumarchais (1732-1799) であったが、Salieri がその台本への作曲を担当するきっかけとなった、彼の 5 幕の Tragédie lyrique „Les Danaïdes” の初演が、Académie royale de musique de Paris において大成功を収めた 1784 年 4 月 26 日は、奇しくも Beaumarchais による 5 幕の喜劇 „Le mariage de Figaro” の、Théâtre de l’Odéon に於ける初演の前日であった。
この „Le mariage de Figaro” は Beaumarchais による Figaro 三部作の内の第二部に当たる作品で、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) によってその初演から 2 年後に、4 幕の Opera buffa „Le nozze di Figaro” (KV 492) として作曲された作品の原作に当たる。
Mozart の „Le nozze di Figaro” の為には、Lorenzo Da Ponte (1749-1838) が „Le mariage de Figaro” を基にして、伊語による台本を仕上げている。
一方 1775 年に Comédie-Française に於いて初演を迎えた、Beaumarchais による Figaro 三部作の内の第一部 „Le barbier de Séville” は、Gioachino Rossini (1792-1868) が作曲をした 2 幕の Opera buffa „Il barbiere di Siviglia” を始めとして、Giovanni Paisiello (1740-1816) 等その他の作曲家による Oper の原作として度々利用されている。
Salieri が Paris に到着して „Tarare” の作曲を開始するに当たり Beaumarchais は、台本の言葉に音楽を付けて行く作業がやり易い様にと、Salieri を彼の自宅に住まわして作曲の場を提供している。
„Tarare” は前作の „Les Horaces” の初演が行われてから凡そ半年後の 1787 年 6 月 8 日に、Académie royale de musique de Paris の会場となっていた Palais-Royal が 1781 年 6 月 8 日に焼失した後、France 国王妃 Marie Antoinette (1755-1793) の願いによって 75 日間で急遽建設され、その年の 10 月 27 日以降 Palais-Royal に代わる会場として利用されていた、Théâtre de la Porte Saint-Martin に於いて、Jean-Baptiste Rey (1734-1810) の指揮の下に初演が行われた。
70 人以上の歌手と 30 人以上の踊り手を要したこの時の演出は、当時としては異例に大規模なもので、その費用は総額 200,000 Livre に達したが、その内舞台装置と衣装に掛かった 50,000 Livre は王室が負担した。
初演には France 国王 Louis XVI. (1754-1793) の弟の、Provence 伯爵 Louis Stanislas Xavier (1755-1824, 後の France 国王 Louis XVIII.) と、Artois 伯爵 Charles Philippe (1757–1836, 後の France 国王 Charles X.) が同席し、大きな成功を収める事が出来た。
初演の終演後聴衆達は当時の慣例に反して、台本作家と作曲者の双方が舞台上に登場する事を求めたが、Beaumarchais は自分が作家としては素人に過ぎないからと辞退して現れず、それに対して主役を歌った 2 人の歌手が Salieri を舞台の前面に導き出して、聴衆達が作品と上演に大変満足している様子を目の当たりにさせた。
Beaumarchais と Salieri の初めての共同作業によって完成されたこの Oper は、当時の様式としては非常に目新しいもので、Salieri はこの作品に於いて独自の個性的な朗誦法を発展させ、それ迄の Oper の慣例であった番号毎に曲が区切られる様式を廃した事と相まって、歌われる部分と Rezitativ との間の滑らかな移行を可能にし、それによって音楽と共に劇の進行が途切れる事無く継続して進み、作品全体に亘る躍動感が終始損なわれるという事無く演じられる事が可能となった。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 17«
[Archiv / Kommentar 2019 Nr. 5]
へ続く
上部の写真:
„Tarare” の初演が成功裏に行われた
Théâtre de la Porte Saint-Martin
1829 年