Kommentar 2019 Nr. 5
Ludwig van Beethoven
und
seine Zeit
Antonio Salieri
Teil 17
»Antonio Salieri Teil 16«
[Archiv / Kommentar 2019 Nr. 4]
より続く
Wolfgang Amadeus Mozart や
Ludwig van Beethoven が
Wien で活動していた時代の
作曲家で
Wien の宮廷楽長
Antonio Salieri
について
Antonio Salieri (1750-1825) が Paris の為に書いた Prolog 付き 5 幕の Oper „Tarare” の、Théâtre de la Porte Saint-Martin に於いて行われた初演は大きな成功を収め、それは Salieri に 4,500 Livres を超える多額の収益をもたらす結果となった。
その後 1787 年 7 月に Salieri は Wien に戻っているが、„Tarare” の益々高まって行く評判は早速 Wien にも届き、作品に対する関心も同時に募って行った。
この評判は皇帝 Joseph II. (1741-1790) にも伝わる事となり、Joseph II. は Salieri と、当時帝室詩人として Wien の伊語劇場の台本作家を務めていた、Lorenzo Da Ponte (1749-1838) を宮廷に呼び寄せて、„Tarare” の伊語への翻訳を委嘱した。
Pierre Augustin Caron de Beaumarchais (1732-1799) が仏語で書いた „Tarare” の台本の翻訳を試みた 2 人ではあったが、単なる翻訳のみでは France の劇場様式を Wien の様式に合わせる事は不可能であるという結論に達し、可能な限り元の „Tarare” に基づき乍らも、最初から別の作品として仕上げる方が良いという結論に至った。
Beaumarchais による „Tarare” の台本は、その初演から僅か 3 年後に Paris に迫っていた革命を預言的に示す結果となった様に、その当時の France 王国の政治的な状況を比較的分かり易い寓意として表現していたが、伊語版の制作に当たってその政治的な意味合いは曖昧にされるか、或いは部分的には全く取り除かれた。
また Prolog も除去され、第 1 幕は台本と音楽共に新しく書き直された。更に Ballett は Italia の伝統的な Commedia dell’arte に代えられ、主要な役名も全て変更された。
台本は Da Ponte によって仏語の内容を保持し乍ら伊語に自由に書き替えられたが、音楽に関しては両方の版に於いて類似している箇所は少ない。これは当時の France と Italia の Oper 様式の違いに基づくもので、歌唱よりも劇の進行が尊重される、歌う俳優が演じる France の様式から、現実的な劇の進行よりも歌唱技術が重視される、演じる歌手によって上演される Italia の様式へと作品全体を替える必要があった為であり、Salieri は殆ど全ての部分に亘って音楽を綿密に変更するか、或いは全く新たな音楽に書き直している。
これ等の作業の結果 „Tarare” に代わる伊語の Oper として、5幕の dramma tragicomico „Axur, re d’Ormus” (Ormus の王 Axur) が生まれる事となった。
この作品では Recitativo accompagnato からそれに引き続く歌唱曲への自由な移行部の扱い方が特徴的で、„Tarare” に於いて見られた喜劇的な要素と劇的な内容の間の頻繁な交代は緩められている一方、旧体制に対する政治的な寓意は奥に隠されたた状態ではあったが残されている。
全体的にはそれ迄の伊語 Oper では見られる事の無かった、形式的な伊語 Oper の枠組みの範疇から抜け出して、それ以後の音楽劇としての更なる多面的な可能性を開いた優れた作品となっている。
„Axur, re d’Ormus” の初演を準備する期間は数箇月に及んだが、その間 Salieri にとっては彼の最も重要な後援者で且つ恩人の Christoph Willibald Gluck (1714-1787) が、Wien に於いて 1787 年 11 月 15 日に脳卒中に見舞われ、その数時間後に亡くなるという出来事があり、また Paris の Concert spirituel より依嘱された、Oratorium „Le Jugement dernier” (最後の審判) für Tenor, vierstimmigen Chor und Orchester の作曲に従事していた。
また Da Ponte の方は „Axur, re d’Ormus” の台本を作成する以前に、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) による 2 幕の Dramma giocoso „Don Giovanni” の為の台本を完成しており、1787 年 10 月にはその初演の準備の為に Praha に居たが、そこから „Axur, re d’Ormus” の上演準備の為に Wien に呼び戻されるという事があった。
この先は次回
»Antonio Salieri Teil 18«
[Archiv / Kommentar 2019 Nr. 6]
へ続く
上部の写真:
„Axur, re d’Ormus”
自筆譜
Salieri による第 1 幕への注意書き