Memorandum 2014 Nr. 8

 

 

 


Über Österreich und Wien

 

 


Kurfürst

 


Teil 14

 

 


選帝侯 (第14回)

 

 

 

 

 

 

 


»Kurfürst Teil 13«
[Archiv / Memorandum 2014 Nr. 7]
より続く)

 


Kurfürst とは
神聖 Roma 帝国に於いて 13 世紀以降
Roma ドイツ王を選出する独占的権利を認められた
人数の限定された帝国の有力諸侯団。
この Roma ドイツ王位は
神聖 Roma 帝国皇帝位と密接に結び付いている為に
実質的には神聖 Roma 帝国皇帝が
選帝諸侯団に選出されるという意味になる。

 

 帝国内に於ける特権を与えられた選帝侯達は、他の帝国諸侯の彼等に対する敵愾心にも拘らず、Roma ドイツ王選出や、皇帝 Karl V. (1500-1558、皇帝位は 1520-1556) 以降 Roma ドイツ王選挙の際に、その候補者との間で交わされた所謂 „Wahlkapitulation” (選挙特約) の起草等の、独占的特権を近代前期が終わる頃迄保持する事が出来た。
皇帝が自身の後継者選出に当たって、それを成り行きに任せてしまうという様な気持ちを持たなければ、選帝諸侯との間の良好な関係の保持は必要であった。

 こういう様な状況が、常設の帝国会議の開催が難しく、皇帝と帝国諸侯や市民達との間の政治的な取り決めが困難であった、主に 16-17 世紀間の皇帝の振る舞いというものを決定付けた。そこで皇帝達は自身が余りにも専横的な行動を取っているという印象を、帝国民の間で呼び起こされたくなければ、政治的な判断を選帝諸侯に相談するという事を行う様になった。
これ等が Karl V. の弟でその後継者となった Ferdinand I. (1503-1564) や、また更にその長男で同じく皇帝位を継いだ Maximilian II. (1527–1576) の態度であり、それに対して皇帝自身がその判断に際して、Karl V. 以前の時代を参考にするという事は余り行われなかった。

 最早帝国の政治に関して皇帝の最も重要な相談相手となった選帝侯は、「最も親密な助言者」 と呼ばれる様になった。
選帝諸侯は皇帝と帝国諸侯や市民との間の蝶番の役目を果たす事となり、その為に Roma ドイツ王選出の為にでは無く、帝国の政治に関して話し合う為に、選帝諸侯が集まって開催されるようになった „Kurfürstentag” (選帝侯会議) は、帝国内の大変重要な役目を果たす様になった。

 一般的に „Kurfürstentag” とは、神聖 Roma 帝国に於ける選帝諸侯の公式な会合の場で、帝国内の一般的な問題の解決処理等が話し合われたものを指し、 Roma ドイツ王選出の為に選帝侯が集まる選帝侯の会合とは異なる。但し Roma ドイツ王選出の為に集まった選帝侯の会合で、その機会に帝国問題に関して議論が行われるという事はあった。

 また稀ではあったが、帝国の最高法規として皇帝 Karl IV. (1316-1378) によって 1356年に公布された、„Goldene Bulle” (金印勅書) の規定に基づいて、皇帝が選帝諸侯を招集するという事があったが、その会議とも異なる。
この場合には皇帝自身か或いはその代理を依嘱された者が同席したが、Kurfürstentag には皇帝の立会人が居るだけで、それも選帝諸侯から好まれた訳では無かった。
この Kurfürstentag は、大抵の場合は選帝侯の一人であった Mainz の大司教によって、直接的には招集されるのが習わしであった。

 この Roma ドイツ王を選出しない Kurfürstentag の権限と権能が明確に規定される事は無かったが、そこで決定された内容の帝国内での拘束力等に関しても、明らかには規定されていない。
歴代の皇帝達は、選帝諸侯に帝国内の問題を相談する為に Kurfürstentag を招集したが、その頻度は皇帝自身の人柄や政治の仕方、またその公職としての帝位の理解の仕方等によって様々に異なり、Karl V. の治世の間は一度も開催される事が無かったのに対して、その後継者の Ferdinand I. と Maximilian II. の治世であった 1558 年から 1576 年の間には、最も頻繁に開催されている。

 この一般的な Kurfürstentag とは別に既に 14 世紀頃から、その領地が Rhein 地方に属する選帝侯達が集まって話し合うという事が行われていたが、特に 16 世紀に入るとその頻度が増し、しばしばこの „Rheinischer Kurfürstentag” (Rhein 地方の選帝侯会議) が開催される様になった。
この会議には Mainz、Köln、Trier の各大司教と、Rhein 宮中伯の計 4 人の選帝侯が属する。

 

 


この先は次回
»Kurfürst Teil 15«
[Archiv / Memorandum 2015 Nr. 1]
へ続く

 

 


上部の写真:


1558 年に
Frankfurt am Main の
Römer (15 世紀以来市役所)
で行われた
Ferdinand I. の
皇帝戴冠の祝宴

Römer は
同市の St. Bartholomäus 大聖堂と並んで
選帝侯による
Roma ドイツ王の選挙
が行われた会場であった

 

 

 

 

 

 

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