Memorandum 2016 Nr. 6

 

 

 


Über Österreich und Wien

 

 


Kurfürst

 


Teil 28

 

 


選帝侯 (第28回)

 

 

 

 

 

 

 


»Kurfürst Teil 27«
[Archiv / Memorandum 2016 Nr. 5]
より続く

 


Kurfürst とは
神聖 Roma 帝国に於いて 13 世紀以降
Roma ドイツ王を選出する独占的権利を認められた
人数の限定された帝国の有力諸侯団。
この Roma ドイツ王位は
神聖 Roma 帝国皇帝位と密接に結び付いている為に
実質的には神聖 Roma 帝国皇帝が
選帝諸侯団に選出されるという意味になる。

 

 Pfalz 選帝侯 Friedrich V. (1596-1632) が 1622 年 6 月に今一度居城のある Heidelberg に戻り、その後の夏を伯父の Bouillon 公爵 Henri de La Tour d’Auvergne (1555-1623) の領地内の Sedan で過ごしていた間、Heidelberg は皇帝軍との間の攻城戦に晒される事となった。

 11 週間に亘る籠城の後、同年 9 月 19 日に Heidelberg が、また 11 月 5 日には Mannheim が陥落して、カトリック連盟軍を率いる Tilly 伯爵 Johann T’Serclaes (1559-1632)、及び前年より Los Balbases 侯爵 Ambrosio Spinola Doria (1569-1630) から皇帝側 España 王国軍の指揮を受け継いでいた、Maratra 侯爵 Gonzalo Fernández de Córdoba (1585-1635) の両者による Pfalz 領の征服は完遂された。
この征服によってその後 Pfalz 領内のプロテスタント派の教会は閉鎖され、Heidelberg の大学は解体される事となった。

 更に Bibliotheca Palatina として広く知られる図書館の、蔵書の殆どが Roma 法王 Gregor XV. (1554-1623)に譲られる事となった。
この Bibliotheca Palatina は、Pfalz 伯爵でまた Pfalz 選帝侯でもあった Ottheinrich (1502-1559) の選帝侯在位期間 (1556-1559) に、Heidelberg の大学図書館や精霊教会に属する修道院図書館、及び Pfalz 選帝侯の宮廷図書館の蔵書を統合した事に始まり、Frank 国王 Charlemagne (747/748 – 814) の宮廷で作成された Lorsch 福音書奉読集や、ドイツの中世で最も広範に Lieder を集めた Manesse 写本、また皇帝 Friedrich II. (1194-1250) によって鳥類学と鷹狩に関して著わされた Falkenbuch 等を始めとする、数多くの大変貴重な書物を収蔵していた。

 更に Augsburg の人文主義者であった Ulrich Fugger (1526–1584) の没後、ドイツ語圏で最古の法律書と考えられている Sachsenspiegel の写本を始めとする、重要で広く知られたものを含む 86 の写本がこの図書館の所有するところとなった。
これ等の大変貴重な蔵書によってこの Bibliotheca Palatina は、当時帝国図書館としての性質を有する事となり、16 世紀に於ける蔵書の拡大後には、Europe に於ける図書館の中の図書館として広く認められていた。

 1622 年に Bibliotheca Palatina のある Heidelberg 及び Pfalz が征服された折に、カトリック連盟の主唱者でその指導者の一人、Bayern 公爵及び選帝侯の Maximilian I. (1573-1651) は、Bayern 公国の首都 München にこの図書館を移そうと考えていた。
しかし Bibliotheca Palatina の蔵書の Vatican への移譲を、Roma 法王 Gregor XV. が大変強く望んだ為に、1425 年から 1430 年頃に作成されたと推定されている、独語訳された新約聖書の初期のものの一つとなる 「Ottheinrich 聖書」 と、 「Ottheinrich の豪華聖歌集」 のみが München に移され、それ以外については Maximilian I. は諦めざるを得なかった。
これに対して Gregor XV. はカトリック連盟軍の財政援助の為という名目で、620.000 Gulden という大金を Maximilian I. に与えてそれに応えている。

 その年の 12 月になると Gregor XV. によって Bibliotheca Palatina の蔵書の Roma への搬送を託されて、Heidelberg へ派遣された Leone Allacci (ca. 1586-1669) によってその計画が準備されたが、その対象は Bibliotheca Palatina の蔵書に限らず、それ以外に選帝侯の私的図書館、Heidelberg の大学図書館、選帝侯の官房図書館や Heidelberg の征服前最後の Bibliotheca Palatina の館長であった、作家で博学者の Jan Gruter (1560-1627) の私的図書館の蔵書にまで広げられた。

 200 頭余りの驢馬を使って Roma に向かって運ばれたこれ等の蔵書は翌年の 8 月に Roma に到着し、凡そ 3,500 以上の写本と、約 12,000 に及ぶ最初期の印刷による書籍が Vatikan 図書館に収蔵された。
法王 Gregors XV. の没後その年の内に枢機卿 Francesco Barberini (1597-1679) の私設図書館長となり、更に 1661 年には Vatikan 図書館の館長に就任する Leone Allacciは、この時に搬送された蔵書の内 12 箱分を自身の所有としている。

 これから凡そ 2 世紀後の 19 世紀になって Napoléon 戦争が集結し、その戦後処理の為に各国首脳が Wien に集まって会議を行ったその結果、1623 年に Heidelberg より Roma に運ばれた Bibliotheca Palatina を始めとする蔵書の内、独語による写本が 1816 年に Heidelberg 大学の図書館に返還された。
しかしそれ以外の言語による写本と、全ての印刷物及び印刷による書籍類は、現在に於いても Vatikan 図書館の所蔵物としてそのまま Roma に残されている。

 

 


この先は次回
»Kurfürst Teil 29«
[Archiv / Memorandum 2016 Nr. 7]
へ続く

 

 


上部の写真:


Manesse 写本中の細密画の一つ


Manesse 写本は
Zürich に於いて 1300 年頃に製作されている
その後補筆は 1340 年頃に至る迄続いた

 

 

 

 

 

 

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