Memorandum 2019 Nr. 3

 

 

 


Über Österreich und Wien

 

 


Kurfürst

 


Teil 49

 

 


選帝侯 (第49回)

 

 

 

 

 

 

 


»Kurfürst Teil 48«
[Archiv / Memorandum 2019 Nr. 2]
より続く

 


Kurfürst とは
神聖 Roma 帝国に於いて 13 世紀以降
Roma ドイツ王を選出する独占的権利を認められた
人数の限定された帝国の有力諸侯団。
この Roma ドイツ王位は
神聖 Roma 帝国皇帝位と密接に結び付いている為に
実質的には神聖 Roma 帝国皇帝が
選帝諸侯団に選出されるという意味になる。

 

 1629 年 1 月 24 日から Hanse 都市の Lübeck に於いて始まった神聖 Roma 帝国と Denmark 王国との間の和平交渉では、広範な領地の割譲に基づいた懲罰的和平を企む皇帝 Ferdinand II. (1578-1637) 及び Wien の宮廷と、皇帝軍を率いて実際に Denmark 及び Norway 国王 Christian IV. (1577-1648) と、彼の率いる Denmark 王国軍を討伐に導いたとは言え、実際には Denmark 王国軍が壊滅された訳では無く、海上では尚看過されざる勢力を保持しており、その上に交渉当事者以外の各方面から更なる戦争の継続を迫られている Christian IV. が、その様な和平案に同意する事は無いであろうという意見を主張していた、帝国大元帥の Friedland 公爵 Albrecht Wenzel Eusebius von Waldstein (1583-1634、通称 Wallenstein) との間の溝が埋まる事はありそうも無い様に見えた。

 Wallenstein の方針に基づく和平交渉を Wien の宮廷が決して認めようとはしないので、公式な交渉が遅々として捗る事が無かった間、Wallenstein は仲介者を介して Christian IV. との秘密交渉を試みる事を決心する。
当初は Denmark 王国にとっての厳しい和平案を支持する立場を取っていた、カトリック連盟軍を率いて Wallenstein の指揮する皇帝軍と共に Christian IV. に対して戦って来た、Tilly 伯爵 Johann T’Serclaes (1559-1632) がその考えを変えて Wallenstein の主張に同調する様になり、両名が公式に答申書を Ferdinand II. に提出するに及んで、遂に Wien の宮廷も Wallenstein の考えに基づく交渉を認めるに至った。

 その結果同年 5 月 22 日になって遂にこの和平交渉は合意に到達し、同日 Christian IV. は和約に署名を行い、6 月 5 日に証書が双方の間で交換された。また同月 30 日には皇帝 Ferdinand II. による和約の批准書が Lübeck にもたらされて、Denmark 王国側に渡されている。

 この和約に於いては、帝国側と Denmark 王国側の双方が互いに損害賠償を請求する権利を放棄する事、皇帝軍はそれ迄に占領した元来の Denmark 王国領と、帝国領内のドイツ北部に於いて Christian IV. に対して封土として与えられていた公国領及び侯国領から速やかに撤退し、これ等の領地は全て Denmark 王国と Christian IV. に対していかなる代償も伴わずに返還される事、Schleswig 公爵及び Holstein公爵位も保持していた Christian IV. は、両公爵及び帝国侯爵としての立場に限って帝国内の諸事に関わり、今後の争議については平和的な交渉、或いは仲裁審判官の助けによってそれ等は解決されるべき事、また Balt 海の Fehmarn 島及び北海の Würde 島と Sylt 島から Denmark 王国軍は速やかに撤退し、これ等は Schleswig-Holstein-Gottorf 侯爵家に返還される事、更に双方の捕虜は速やかに解放される事、そして皇帝側としては Spain 及び Poland の王家、Spain 王女 Isabella Clara Eugenia (1566-1633)、Austria 家の全ての尊貴な貴族諸賢、Bayern 選帝侯とその他の選帝諸侯及び帝国諸侯と家臣や臣民達が、一方 Denmark 及び Norway 国王側としては France、England と Sweden の各王家と Nederlanden 連邦共和国がこの和平の締結者である事が定められた。

 この 1629 年に Lübeck に於いて締結された和約は、この時代に達成された唯一の政治的な成果と捉える事が出来る程の、所謂 30 年戦争期間中の最も規範的な条約であり、Wallenstein の希望も同時に叶えられる結果となった。
この和約で取り決められた条項によって実質的には、北部ドイツの細分された領地が皇帝 Ferdinand II. の手に帰する事となり、その状態を受け入れる事が定められたこの和約を以て、Denmark 王国は大陸に於ける 30 年戦争から除外される結果となった。

 しかし当初 Ferdinand II. や Wien の宮廷が考えた様な、Christian IV. に対する厳しい懲罰的な和平では無く、Wallenstein が当初より意図していた様に、彼の面目を十分に保持し乍ら双方が和平に至って、大陸に全体に平和をもたらす事が出来たという事によって、それ迄は Ferdinand II. に対する粘り強い敵対者であった Christian IV. がこれ以後、後に Ferdinand II .の為に France 王国及び Sweden 王国を敵に回して戦うという様な、皇帝の為の堅固な支持者となって行く事になる。

 

 


この先は次回
»Kurfürst Teil 50«
[Archiv / Memorandum 2019 Nr. 4]
へ続く

 

 


上部の写真:


Lübeck の和約

表紙


1629 年

 

 

 

 

 

 

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