Memorandum 2019 Nr. 4

 

 

 


Über Österreich und Wien

 

 


Kurfürst

 


Teil 50

 

 


選帝侯 (第50回)

 

 

 

 

 

 

 


»Kurfürst Teil 49«
[Archiv / Memorandum 2019 Nr. 3]
より続く

 


Kurfürst とは
神聖 Roma 帝国に於いて 13 世紀以降
Roma ドイツ王を選出する独占的権利を認められた
人数の限定された帝国の有力諸侯団。
この Roma ドイツ王位は
神聖 Roma 帝国皇帝位と密接に結び付いている為に
実質的には神聖 Roma 帝国皇帝が
選帝諸侯団に選出されるという意味になる。

 

 1546 年から翌年に掛けての、Sachsen 選帝侯国と Hessen 方伯国が主導する、プロテスタント諸侯による Schmalkalden 同盟対皇帝 Karl V. (1500-1558) との戦争や、1552 年から 1554 年迄の、Brandenburg-Kulmbach 辺境伯 Albrecht II. Alcibiades (1522-1557) と、主にカトリックの教会領との間の第 2 次辺境伯戦争、また 1552 年の皇帝 Karl V. に対する、Sachsen 公爵及び選帝侯 Moritz (1521-1553) の主導によるプロテスタント諸侯による叛乱によって国土は荒廃し、神聖 Roma 帝国内では平和への憧れの気持ちが非常に高まっていた。

 そこで 1555 年に Augsburg に於いて開催された帝国議会では、皇帝 Karl V. の代理として会議に出席した彼の弟で、1531 年に Roma ドイツ王に選出されて同年戴冠していた Ferdinand I. (1503-1564) が、カトリックとプロテスタント勢力間の宗教的な和平の為の交渉を進めていた。
しかし人々の平和を望む希望は高くとも、利害の対立する両勢力間の交渉は困難を極めて容易には進展しなかったが、同年 9 月 25 日になって遂に交渉は成立し、Ferdinand I. と帝国諸侯及び自由帝国諸都市の間に帝国宗教和議が締結された。

 この帝国宗教和議は、帝国内に於けるカトリック派と Luther 派の平和的継続的な共存を目的として、帝国内に於いて初めての宗教対立に関する法律として、その為の基本的な条件等が定められた。
この和議に於いては、帝国諸侯がその領民全体の宗教を決定する権利を有する事 (Cuius regio, eius religio)、この領主の決定を受け容れる事を欲しない家臣は、自身の信教に基づいた別の領地に移住する権利が保証される事 (ius emigrandi)、またカトリックの教会領主が宗旨替えを行った場合には、その者の治める教会領と同時に世俗領地に関しても、新たに定められる支配者にその権利を譲り渡さなければならない事 (Reservatum ecclesiasticum) 等が定められている。

 上記最後の項目はこの時の宗教和議の基礎となった、Ferdinand I. とプロテスタント諸侯との間で、プロテスタントの信仰を容認するという内容の Passau 条約が結ばれた、1552 年時点に於けるカトリック教会領の状態を確実なものにする事が目的であり、実質的にはそれ以降のカトリックの教会領からプロテスタント領への移行を禁じるものであったが、帝国議会の協議の場に於いてその交渉が最も困難で時間を費やした内容であった。

 帝国内のプロテスタント勢力の立場にとってはこれは明らかに不利益であって、彼等は何度も交渉の決裂を仄めかして Ferdinand I. に譲歩を迫った。
その為に Ferdinand I. は、9 月 25 日に締結された上記の帝国宗教和議とは別に、Sachsen 選帝侯 August (1526-1586)と、Mainz 選帝侯 Daniel Brendel von Homburg (1523-1582) の両者に対して、和議締結前日の 9 月 24 日付けで宣言書を手渡す事によって、プロテスタント側の同意を得るという取引を行った。
この Ferdinand I. による同宣言書は秘密文書として取り扱われて、その後 1575 年に至る迄の間公開される事は無かった。

 この宣誓書に於いて Ferdinand I. が約したのは、或る領主の支配下で土地を所有するプロテスタントの騎士や都市に対して、たとえその土地がカトリックの教会領地内にあったとしても、彼等にはプロテスタントの信仰を保持する事を保障するという事であったが、これは上記帝国宗教和議に於いて定められた、もしカトリックの教会領であればその領主は領内の全家臣に対してカトリックの信仰を定める事が出来るという、„Cuius regio, eius religio” の原則に対する重大な例外措置となる。

 Ferdinand I. はこの宣誓書を手渡す事によって、Augsburg の帝国議会に於いてプロテスタント側の合意を取り付け、最終的に帝国宗教和議の成立へと導く事に成功する事が出来たが、この秘密文書は帝国議会の公式の決議には当然含まれておらず、カトリック側は帝国宗教和議の条文に於いて、それ以後に追加された如何なる文書によってもその和議の内容の変更は禁じられている事から、Ferdinand I. による同宣誓書は帝国法上無効であるという事を主張して、これ以後の何年にも亘るカトリックとプロテスタント間の抗争を引き起こす原因となって行く。

 

 


この先は次回
»Kurfürst Teil 51«
[Archiv / Memorandum 2019 Nr. 5]
へ続く

 

 


上部の写真:


Augsburg の帝国宗教和議

1555 年

 

 

 

 

 

 

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