Memorandum 2019 Nr. 6

 

 

 


Über Österreich und Wien

 

 


Kurfürst

 


Teil 52

 

 


選帝侯 (第52回)

 

 

 

 

 

 

 


»Kurfürst Teil 51«
[Archiv / Memorandum 2019 Nr. 5]
より続く

 


Kurfürst とは
神聖 Roma 帝国に於いて 13 世紀以降
Roma ドイツ王を選出する独占的権利を認められた
人数の限定された帝国の有力諸侯団。
この Roma ドイツ王位は
神聖 Roma 帝国皇帝位と密接に結び付いている為に
実質的には神聖 Roma 帝国皇帝が
選帝諸侯団に選出されるという意味になる。

 

 1629 年 3 月 6 日に皇帝 Ferdinand II. (1578-1637) によって発布された復旧勅令は、1555 年 9 月 25 日に Augsburg の帝国議会に於いて、当時の皇帝 Karl V. (1500-1558) の代理としての Roma ドイツ王 Ferdinand I. (1503-1564) と、プロテスタントの帝国諸侯及び自由帝国諸都市の間で締結された帝国宗教和議の、カトリック側からの解釈による実行と解釈する事が出来る。

 この復旧勅令では Augsburg 帝国宗教和議の意図するところについての論究がなされ、カトリック側による解釈が和議の結果に基づき唯一拘束力を持つものであって、プロテスタントによる解釈は不法であるという事が宣言されている。
従って教会所領は皇帝に直属するものでは無く、夫々の各領主の支配下に属するというのが唯一の正しいあり方であって、帝国宗教和議に於いて定められた „Reservatum ecclesiasticum” (宗教的留保) については、無制限に有効であるとされた。

 また帝国宗教和議が合意に達する前にその為の前提条件として、Ferdinand I. がプロテスタント側に対して譲歩として秘密裏に渡したと主張された宣言書については、その真正性に対して疑問が呈され、それに対するプロテスタント側からの要求は一切拒否された。
この所謂 「Ferdinand の宣言書」 に於いては、たとえカトリックの信仰を持つ領主の支配地域内であったとしても、そこで土地を所有するプロテスタントの騎士やまた都市に対しては、彼等がプロテスタントの信仰を保持する事を保障するという内容であったので、これが否定された事によって、世俗領主及び教会領主双方共に領地内の異宗教者に対しては、彼等を領地内から追放する権利を有するという事が明らかにされたという意味になる。

 更にプロテスタントの信仰を持つ者の中でも Calvin 主義者に対しては、Augsburg 帝国宗教和議に基づいて平和を求める権利は認められず、それを有するのは Augsburg の信仰告白に依って立つ信者のみであるとされた。
この Augsburg の信仰告白は 1530 年 6 月 25 日に、Augsburg で開かれた帝国議会の場に於いて、Luther 派の帝国諸侯達によって皇帝 Karl V. (1500-1558) に対して表明されたもので、1555 年の帝国宗教和議の為の交渉の際のプロテスタント側の基盤になっており、現代に於いても Luther 派教会では必須の信仰告白書であり、1540 年に編纂された改訂版の方は、改革派教会に於いても同様の扱いとなっている。

 Ferdinand II. は上記の様に、プロテスタントの信仰を持つ者の中では Luther 派に属する者のみを認め、彼等とカトリックの信者以外の全帝国臣民、またこの復旧勅令に異を唱える者については全てを、帝国平和喪失刑に処するという強い態度を示している。

 プロテスタント諸侯の同意を得る事無く皇帝より発布されたこの復旧勅令は、帝国内の教会領のその当時の支配状況を、1552 年の状態に戻して確保するというのが大きな目的の一つとなっていた為に、その時以降プロテスタント諸侯によってその領地に組み入れられる事となった 「教会領の世俗化」 は全て無効とされた。
この 1552 年というのは、同年 Sachsen 公爵及び選帝侯 Moritz (1521-1553) の主導するプロテスタント諸侯が、その時の皇帝 Karl V. に対する叛乱を起こした後に、同諸侯と Roma ドイツ王 Ferdinand I. との間に、同年 8 月 2 日 Passau に於いて条約が結ばれた時点を指している。
帝国内の宗教対立を平和裏に解決する事を目指したこの時の交渉の結果、同条約に於いて初めてプロテスタントという存在が認められ、その結果これより 3 年後に締結された帝国宗教和議では、帝国法上も公式にプロテスタントが認知されるその先駆けとなっていた。

 

 


この先は次回
»Kurfürst Teil 53«
[Archiv / Memorandum 2019 Nr. 7]
へ続く

 

 


上部の写真:


帝国議会に於いて皇帝 Karl V. の前で
Augsburg の信仰告白を読み上げる
Sachsen 選帝侯国宰相
Christian Beyer (ca. 1482-1535)


Augsburg 司教宮殿内参事会広間

1530 年 6 月 25 日

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.