Musik 2013 Nr. 1

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 1«
[Archiv / Musik 2012 Nr. 8]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) の音楽の師 Christian Gottlob Neefe (1748-1798) が、Beethoven の音楽的才能を更に発展させる為に必要と考えた、1783 年に次ぐ楽旅の 2 番目の機会は 1787 年の春に訪れる。
Beethoven は 1784 年以来 Bonn の第 2 宮廷 Organist の地位を得て、主に教会音楽の演奏を担当していたが、領主で Köln 選帝侯の Maximilian Franz von Österreich (1756-1801) より旅行に出る許可を得て、初めて神聖 Roma 帝国の首都 Wien に向かい、4 月初旬にそこに到着している。
この時の資金面の援助を Beethoven が Maxmilian Franz より受けたかどうかについては、記録が残されておらず不明だが、その可能性は高いと考えられている。

 この旅行の最も重要な目的は、Beethoven が Wien に於いて Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の下で作曲の勉強をする事であった。
これは単に当時 Mozart が帝国を中心に知名度の高い作曲家になっていたという事以外に、更に Beethoven を Mozart に結び付ける繋がりがあった。

 今回 Beethoven が Wien へ自身の勉強の為に出掛けるに当たって、少なくともその休職を許可して協力した選帝侯の Maxmilian Franz は、神聖 Roma 帝国皇帝 Franz I. Stephan (1708-1765) とその配偶者の Austria 大公女 Maria Theresia (1717-1780) との間に生まれた、合計 16 人の子供達の末子であった。
その Maxmilian Franz がまだ幼い 6 歳の時の 1762 年に、Salzburg からやって来た Leopold Mozart (1719-1787) とその 2 人の子供達、Maria Anna (1751-1829) と Wolfgang Amadeus が Wien の街を訪ねるという事があった。
姉の Maria Anna はその時 11 歳、弟の Wolfgang Amadeus は 6 歳で、2 人で神童として幾つもの演奏会を Wien で開催した。

 10 月 13 日には皇帝 Franz I. Stephan とその帝妃 Maria Theresia によって、Schönbrunn 宮殿の宮廷に招かれるという事があり、そこに於いても子供達は同様に演奏を披露した。 Wolfgang が帝妃の膝の上に飛び乗り、その首に子供らしく気持ちを込めて Kiss をするという突然の出来事もあったが、Mozart 一家はその日の 15 時から 18 時に至る長時間に亘って大変寛大にもてなされ、その折に Wolfgang は後に France 国王 Louis XVI. (1754-1793) の妃となる Marie-Antoinette von Österreich-Lothringen (1755-93) や、その弟の Maxmilian Franz 等の皇帝一家の子供達にも会っている。

 その後 10 月 15 日に帝妃 Maria Theresia は、Wien に滞在中の Mozart 一家に枢密主計官 Johann Adam Mayr を遣わし、2 人の子供達にそれぞれ宮廷用の礼服を贈った。
この出来事の翌年に恐らく Salzburg の宮廷画家 Pietro Antonio Lorenzoni (1721-1782) によって描かれたものだと推定されている、この時に贈られた礼服を着用した 2 人の子供達の油彩肖像画が残されているが、Wolfgang がこの時貰ったこの礼服は、本来 Maria Theresia の末子の Maxmilian Franz の為に作られたものであった。

 この様な経緯で 6 歳という子供の時に知り合った 2 人であったが、期せずして同年生まれであり、1784 年に Köln 選帝侯及び大司教に就任した Maxmilian Franz が、自分の家臣で若くから才能を見せ始めている Ludwig van Beethoven の更なる技能の向上を目指して、自分の生まれ故郷で益々名を上げ、自分もその熱心な讃美者の一人となっている Wolfgang Amadeus Mozart の下で勉強する為に、Beethoven を Wien に送ったというのは大いに考える事が出来る。

 実際に Beethoven が 1787 年の 4 月に Wien に到着した事は記録に残されているが、その後の Wien に於ける Beethoven の行動に関する具体的な記録は、Beethoven の方にもまた Mozart に関わる方にも直接的には残されておらず、どの程度の集中度で Beethoven が実際に Mozart の下で音楽の勉強が出来たかに関しては明らかにされていない。

 そのせいもあって後世にはその時の 2 人の出会いに関して、逸話の形で様々でまたかなり具体的な内容のもの、例えば Beethoven が Mozart を最初に訪れた折、まず始めに十分練習を重ねた Klavier の曲を演奏したが、それに Mozart は儀礼上の反応しか示さなかった。しかしそれに続いて Mozart から Thema を与えられてそれに基づく即興演奏を行うと、それを Mozart は大変高く褒め称えたという話が伝えられているが、それ等の逸話類の信憑性には大きな疑問が残る。
それ等の所謂後世に創作されたのではないかという可能性を払拭する事が出来ない所謂逸話の類の他に、信頼出来そうな記録としては以下の 2 つのものがある。

 その 1 つは、Beethoven の弟子で後に作曲家となる Ferdinand Ries (1784-1838) が伝えているもので、それによれば Beethoven は後に大変残念に思っていたが、その時の Beethoven の Wien 滞在期間中に Mozart が Beethoven による Klavier の演奏を聴く機会は無かったという。

 もう 1 つは同じく Beethoven の弟子で Austria 人の作曲家、また Klavier 奏者として知られる Carl Czerny (1791-1857) によるもので、Beethoven が Mozart の Klavier の演奏を聴く機会はあり、それは legato が無く細かく切り刻まれた様だったという。
恐らく Beethoven が Mozart の演奏を聴いたのは公開の演奏会等の機会では無く、作曲・理論に関する個人的な教授中の事であっただろうと考えられている。

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 3«
[Archiv / Musik 2013 Nr. 2]
へ続く

 

 


Franz I. Stephan
に関しては
[Archiv / Kommentar 2013 Nr. 1]
を参照

 

 


上部の写真:


Maria Theresia とその息子達
左から Leopold II., Maria Theresia, Ferdinand, Joseph II.
右端が Maximilian Franz


J. Maurice による
肖像画の部分

 

 

 

 

 

 

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