Musik 2013 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 8

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 7«
[Archiv / Musik 2013 Nr. 6]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) は 1795 年 3 月 29 日に、Wien の 旧 Burgtheater (宮廷劇場の一つ) で行われた演奏会に於いて、初めて Klavier 奏者として Wien の音楽界に公式に登場した。
この演奏会は、1772 年に Wien の宮廷楽長に就任した Austria の作曲家 Florian Leopold Gassmann (1729-1774) によって、その前年に Wien に於いて組織された、会員の未亡人と遺児の養護をその第一の目的とした、音楽家の為の Tonkünstler-Sozietät という名の協会の主催による、一連の慈善演奏会の一つとして開催された。

 この演奏会は先ず最初に、当時 Wien の宮廷楽長であった Antonio Salieri (1750-1825) の下で作曲の勉強をする為に、1793 年に Wien にやって来た Italia の作曲家、Antonio Casimir Cartellieri (1772-1807) による新作の Symphonie で始まり、「名手 Ludwig van Beethoven 氏 の Klavier 演奏と自身の作曲による新作の協奏曲」 がそれに続いた。
最後は同じく Cartellieri による 2 部構成の Oratorium (opera sacra) „Gioas, Rè di Giuda” (Juda の王 Joas) が演奏されて締め括られた。

 この演奏会で Beethoven が新作の協奏曲として演奏したのは Konzert in C-dur (後に Nr. 1, op. 15 として出版された) か、Konzert in B-dur (同様 Nr. 2, op. 19) のどちらであったのかは明らかになっていないが、B-dur の方が可能性は高いと考える事が出来る。

 Beethoven の Bonn 時代からの親しい友人の一人で、1794 年から 1796 年に掛けて Wien に滞在していた Franz Gerhard Wegeler (1765-1848) は、この時の演奏会に関して以下の様な内容の記録を残している。

 


Beethoven は Rondo (終楽章) を演奏会の 2 日前になって漸く書き始めた。
この間 Beethoven はこの頃しばしばあった様にとても酷い疝痛に見舞われ
Wegeler は医者であったので
簡単な薬を用いて出来るだけ Beethoven を助けるように努めた。
Beethoven が作曲をしていたその前の部屋には写譜士が控えており
Beethoven が楽譜を 1 枚ずつ
それが書き上げられる毎に写譜士に渡していた。
Beethoven の住居に於いて行われたその曲の最初の練習では
管楽器に対して Klavier が半音低く調律されていた事が分かり
そこで Beethoven は躊躇する事無く管楽器を
Klavier の „a” の代わりに „b” で調律し
自身は solo 声部を in cis で [半音上げて] 演奏した。

 

 

 Wien に於いて現代にまで続いている新聞 „Wiener Zeitung” (Wien 新聞) のこの演奏会に関する同年 4 月 1 日付の記事によると、「 [一連の Tonkünstler-Sozietät による慈善演奏会の] 初日には有名な Ludwig van Beethoven 氏が、彼自身の作曲による全く新しい Pianoforte の為の Konzert によって、聴衆の満場一致の賞賛を博した」 と報じられている。

 

 これに引き続いて翌日に再び行われた Tonkünstler-Sozietät 主催による第 2 回目の演奏会にも Beethoven は出演し、Klavier の即興演奏を披露した。

 Beethoven の Wien に於ける初の公式の場への登場は更に続く。
更にその翌日の 3 月 31 日に、Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の未亡人 Constanze Mozart (1762-1842) は、同じく Burgtheater に於いて今は亡き夫の Oper, „La Clemenza di Tito” の上演を企画したが、その幕間の休憩時間に 「Ludwig van Beethoven 氏が Mozart の Klavierkonzert を演奏する」 と言う予告が公表されていた。
この際に Mozart のどの Konzert が Beethoven によって演奏されたかは明らかになっていないが、Beethoven が後に大変賞賛し、自身で Kadenz も書いた Konzert für Klavier und Orchester in d-moll, KV 466 ではないかと推測されている。

 

 


Franz Gerhard Wegeler による記録
及び
Wiener Zeitung の記事
の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 9«
[Archiv / Musik 2013 Nr. 8]
へ続く

 

 


Franz Gerhard Wegeler
に関しては
[Archiv / Kommentar 2012 Nr. 3]
以降を参照

 

 


上部の写真:


Wien の 旧 Burgtheater


Austria の画家
Eduard Gurk (1801-1841)
による
彩色銅版画

[Wiens vorzuegl. Gebaeude und Monumente, 1823]

 

 

 

 

 

 

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