Musik 2013 Nr. 8

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 9

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 8«
[Archiv / Musik 2013 Nr. 7]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) の Klavier 奏者及び作曲家としての、Wien の音楽界に於ける初の公式の演奏会が行われた 1795 年 3 月に、Beethoven は 3 日連続で夫々内容の違う演奏会に出演するという事になったが、それに続く 2 回目の Wien に於ける登場は、その年の 12 月 18 日に開催された演奏会となった。

 この演奏会は Beethoven の作曲の師でもある Joseph Haydn (1732-1809) が、永らく務めた Esterházy 侯爵家から独立した後に London への演奏旅行を 2 度行ったが、その 2 回目の演奏旅行からその年の 8 月に帰国した後に、Wien の王宮内にある Redoutensaal に於いて開催したもので、この演奏会に Beethoven は出演して再度自作の Klavierkonzert の演奏を行った。
今回の演奏会でも Konzert in C-dur (後に Nr. 1, op. 15 として出版される) と、Konzert in B-dur (同様 Nr. 2, op. 19) のどちらを Beethoven がこの時演奏したのかは明らかにはなっていない。

 翌 1796 年 2 月になると Beethoven は、Wien から Praha、Dresden と Leipzig を経由して Preußen 王国の首都 Berlin へと向かう長期の演奏旅行に出掛ける。
どの町に於いても Klavier の名手としての成功と、それに伴う Beethoven 自身も大変満足の出来た収益を得て、その年の 6 月には Berlin に至る。
Berlin では 2 曲の Sonate für Violoncello und Pianoforte in F-dur と in g-moll (op. 5) を、Berlin の宮廷歌劇場の首席 Violoncello 奏者で、王室宮廷上級音楽監督を務めていた Jean-Pierre Duport (1741-1818) の為に作曲し、Preußen 国王 Friedrich Wilhelm II. (1744-1797) が同席する前で、この 2 人によって演奏された。

 Beethoven は Berlin の宮廷に於ける自身の演奏を聴いていた当地の貴族達の、聴衆としての程度に関しては 「甘えた子供達の様だ」 として、余り評価しなかった。
一方そこで知り合い、お互いに大変気が合って尊重し合う関係となった、前国王 Friedrich II. (1712-1786) の末弟 August Ferdinand (1730-1813) の三男で、現国王からは従弟に当る、王子 Louis Ferdinand (1772-1806) の Klavier の演奏に関しては、「全く王族的であったり王子が演奏する様なものでは無く、まるで有能な Klavier 奏者の様だ」 と大変高く評価した。

 その当時の Preußen 王国に於いて、Louis Ferdinand に匹敵する様な Klavier の演奏が出来るのは、Italia から帰国した後 1795 年に、Johann Friedrich Reichardt (1752-1814) の後任として宮廷楽長に任命された、Friedrich Heinrich Himmel (1765-1814) のみだと言われていた。
Beethoven は Himmel とも、今回の Berlin 滞在の折に知り合って親しく交際したが、その Klavier の演奏は上品で心地よいものではあるが、Louis Ferdinand 王子の演奏とはとても比較できる様なものでは無いという評価を残している。

 前述の Duport の為に Bewethoven が書いた 2 曲の Sonate für Violoncello und Pianoforte は、Friedrich Wilhelm II. に献呈され、Beethoven は国王から更に Berlin に留まる様招待を受けたという可能性が大いに考えられるが、もしそうであるとするならば Beethoven はそれを辞退し、その年の夏に Wien に帰国する。
それでも今回の演奏旅行に関して当初は、最初の滞在地 Praha から帰国迄の期間が 6 週間程度と考えていた様だが、この演奏旅行は Beethoven 自身が大変満足している様に、名声と収益の両面で大きな成果をもたらしたという事もあり、当初の予定よりもかなり延長されて数箇月の長期に及んだ。

 Berlin への演奏旅行からの帰国後その年の 11 月には、Beethoven と親交のあった Klavier 奏者で作曲家の Johann Nepomuk Hummel (1778-1837) の出身地 Preßburg (現在は Slovakia 共和国の首都 Bratislava) と、Pest (現 Hungary の首都 Budapest の一部) で演奏会を催し、Beethoven はそこに於いても Klavier 奏者として初めて登場した。

 Beethoven はそれ以前から、Stuttgart 出身で当時 Wien に於いて工房を開いていた、„forte piano (Klavier)” 製作者の Johann Andreas Streicher (1761-1833) と親しく交際していたが、Streicher は今回の演奏会の為に自身の製作による楽器を現地に送っている。
これが Beethoven の提案によるものか Streicher の希望によるものかは不明だが、Beethoven は Streicher の楽器を大変高く評価しており、その演奏会に於ける自身の演奏を通じて、Streicher の „forte piano” が広く知られて評価される様になる事を希望しており、それに努めた。

 この演奏会が催される直前に、Beethoven が Preßburg から Wien の Streicher に宛てて書いた手紙が残されているが、その中で Beethoven は以下の様に書いている。

 


一昨日あなたの forte piano を受け取りましたが
本当に素晴らしいこの楽器は他の誰もが所有したいと思うでしょう。
[・・・]
この楽器は自分には良過ぎます。
何故なら自分の音を自身で生み出すという自由をこの楽器は奪ってしまうからです。
[・・・]
あなたの楽器が当地やその他の至る所で認められるという事を
私が如何に望んでいるかは
ここで改めて言うまでも無く納得して貰えていると思いますが
ただあなたの為に何か出来るという事を私は望んでいます。
[・・・]

 

 


Beethoven による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内は執筆者による

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 10«
[Archiv / Musik 2014 Nr. 1]
へ続く

 

 


Johann Andreas Streicher
に関しては
[Archiv / Kommentar 2011 Nr. 5]
を参照

 

 


上部の写真:


Friedrich II. によって
Potsdam に建設された
新宮殿の音楽室

1769 年完成

 

 

 

 

 

 

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