Musik 2014 Nr. 5

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 14

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 13«
[Archiv / Musik 2014 Nr. 4]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 1803 年以来 Ludwig van Beethoven (1770-1827) の数少ない生徒の一人となる事の出来た Ferdinand Ries (1784-1838) は、翌年の 8 月 1 日に Beethoven に教えを受けた Klavier 奏者として、Wien の Augarten に於いて開催された演奏会で公式に début した。
Beethoven の生前にその生徒として公開の場に登場する事が出来たのは、この Ferdinand Ries 只一人であった。

 この Ries の公開 début の演奏会の為に Beethoven は、その前年の 1803 年 4 月 5 日に Wien の Theater an der Wien に於いて初演された、彼の 3 作目となる Konzert für Klavier und Orchester in c-moll (Nr. 3, op. 37) を Ries が演奏する事を許した。

 この c-moll の Klavierkonzert の前年に行われた初演の際に、Beethoven は Klavier の演奏を行ったが、今回の演奏会では指揮を受け持ち、この演奏会の為に 2 回の総練習が行われた。
Ries の残した記録によると、彼は Beethoven に自分の演奏の為に Kadenz を書いてくれる様に頼んだが、Beethoven は Klavier を演奏をする Ries が自身で書くべきだとそれを断り、但し Ries が書いたものの手直しならしようと言った。

 その後 Ries の書き上げた Kadenz を見た Beethoven はそれに満足し、僅かな修正を加えただけであった。ただその中に一箇所とても華やかだが難しい楽句があり、それを Beethoven はとても気に入っていたが、Ries が演奏するには余りにも冒険が過ぎると思った様で、その箇所だけはそれに代わる別のものを書く様に Ries に勧めた。

 演奏会の 1 週間前になって、Beethoven はもう一度 Ries の書いた Kadenz の演奏を聴きたいと言い、Ries はそれを演奏したが、例の難しい楽句の箇所を失敗して、その演奏は台無しになってしまった。
Beethoven は改めてもう一度その部分を書き直す様に言ったが、今回は前回よりも幾らか厳しい語調であった。

 Ries は今回は仕方無くそれに代わる新たな楽句を書いたが、彼にはそれが中々気に入らなかった。そこで Ries は元の難しい方の Kadenz をそれ以来とても熱心に練習したが、もうこれなら大丈夫という状態には中々至る事が出来なかった。
Ries の伝えるところによるとその後、その演奏会の折に以下の様な経緯があった。

 

 「演奏会の本番でこの問題の Kadenz の部分に差し掛かると、Beethoven は静かに椅子に腰を下ろした。自分はしかし未だ簡単な方の Kadenz を演奏するという決心が付かなかった。そのために勇気を持って難しい方の Kadenz の演奏を始めると、Beethoven は乱暴に椅子を押しのけた。
しかしその Kadenz の演奏は成功し、Beethoven は大きな声で 『 Bravo ! 』 と叫ぶ程すっかり感心していた。
聴衆達はそれに影響を受けて大いに感動した様子で、それによって私は芸術家としての活動の最初期から、随分良い評判を得る事が出来た。
演奏会の終了後 Beethoven が私に彼の満足の気持ちを伝えた時、彼は次の様に付け加えた。
『 しかしそれにしても君は頑固だ。若し君が例の Kadenz を失敗していたら、もう君には決して教授する事は無かっただろう 』 。」

 

 Beethoven によるこの Konzert für Klavier und Orchester in c-moll は、この年に Wien の Kunst- und Industrie-Comptoir 社より出版された。

 

 Beethoven はこれに先立つ 1796 年に、Wien から Praha、Dresden と Leipzig を経由して Preußen 王国の首都 Berlin に迄至る、大変成功裏に終わった長期の演奏旅行を行ったが、その折に Berlin の 宮廷に於いて、Preußen 王国のの王子 Louis Ferdinand (1772–1806) と知り合う機会があり、Beethoven は彼の Kavier の演奏を大変高く評価して、2 人の間には親密な関係が築かれた。

 しかし Beethoven の帰国後この 2 人には久しく共に会う機会が失われていたが、1804 年に Louis Ferdinand が Preußen 王国の外交の任務を帯びて Wien に滞在する事になり、その機会に Beethoven と久し振りに再会した。
その後 Louis Ferdinand は、Beethoven の重要な後援者の一人である Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵 (1772-1816) と共に、Wien から侯爵の Bohemia の領地に行ったが、Beethoven はこの Wien での Louis Ferdinand との再会の数箇月後に、この Konzert für Klavier und Orchester in c-moll を Louis Ferdinand に献呈している。

 

 


Ferdinand Ries
による記録の原文は省略
日本語訳は執筆者による

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 15«
[Archiv / Musik 2014 Nr. 6]
へ続く

 

 


上部の写真:


1804 年に
Ferdinand Ries の
Klavier 奏者としての début 演奏会
が行われた
Wien の Augarten


Johann Andreas Ziegler (1749–1802)
による彩色銅版画

1782 年制作

 

 

 

 

 

 

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