Musik 2014 Nr. 6

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 15

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 14«
[Archiv / Musik 2014 Nr. 5]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) の 4 作目となる Klavierkonzert の最も初期のスケッチは、その第 1 楽章の開始部分が所謂 „Eroica” スケッチ帳と呼ばれているものの終わりの部分に書かれている。
従ってその時期は、Beethoven の数少ない生徒の一人となった Ferdinand Ries (1784-1838) が Klavier 奏者として、師の 3 作目となる Konzert für Klavier und Orchester in c-moll を演奏して、Wien に於ける公開 début を行った年である 1804 年の初旬という事になる。

 同じ時期にはその翌年に初演される事になる Oper „Leonore” 第 1 稿の為の、矢張り最初期のスケッチも書かれているが、それと並んで 1808 年になって初めて公開演奏される 5 番目と 6 番目の Symphonie の為の初期のスケッチも書かれており、この年に Beethoven はこれ等の大作の作曲に並行して着手していた事が分かる。

 その後 1805 年から翌年に掛けての冬の時期に Beethoven は先ず、1805 年 11 月 20 日に初演されたが失敗に終わってしまった „Leonore” 第 1 稿の改訂作業に取り掛かり、それに続いて翌 1806 年初旬に 4 作目の Klavierkonzert の本格的な作曲に着手している。

 Beethoven はこの時期の作曲に当たっては、製本されたスケッチ帳を用いずに、一枚一枚の五線紙に書き込んで作業を行っていた様で、その後その五線紙の多くは失われてしまったために、この Klavierkonzert の作曲の過程を辿るのは大変困難な状況となっている。
1806 年 7 月 5 日付の、Beethoven から Leipzig の出版社 Breitkopf & Härtel に宛てた手紙の中で、Beethoven は以下の様に書いている。

 


弟 [Kaspar Anton Karl van Beethoven (1774-1815)] が
政府の仕事で Leipzig に行くので
彼に私の Oper [Leonore] の序曲の piano Score と
Oratorium [Christus am Ölberge] 及び
新作の Klavierkonzert [の総譜] を
渡した事をお知らせしておきます。

 

 従ってこの Klavierkonzert の最初の総譜が、遅くともこの手紙の日付迄には完成していたという事が、この手紙より分かる。
但しここで Beethoven によって言及されている、Kaspar Anton Kar の Leipzig への旅行が実現して、実際に楽譜がこの時に Breitkopf & Härtel 社に届いたかどうかに関しては、その後の Breitkopf & Härtel から Beethoven に対する返答も無く、明らかにはなっていない。

 この Klavierkonzert はその後翌 1807 年 3 月になって、前年に書かれた Symphonie in B-dur (Nr. 4) 及び、この年に作曲された Coriolan-Ouvertüre と共に、Wien の Lobkowitz 侯爵邸で開催された半私的演奏会に於いて、Beethoven の指揮及び Klavier 独奏の下に初演された。

 丁度この頃 Beethoven は Wien を訪ねてきた Muzio Clementi (1752-1832) と遂に知り合う機会を得る。
Italia 人の Muzio Clementi は 1780 年代より London に於いて、Klavier 奏者及び作曲家として活動していたが、Beethoven は Wien で実際に彼と面識を得る以前から、Clementi の作品を知っていて高く評価していた。

 1790 年代から Clementi は、更に音楽出版社と Klavier 製作会社の経営も始めていた。その後 1802 年から自身の生徒であった John Field (1782-1837) と共に、8 年間の長期に亘った演奏旅行に出発する。
1 回目の Joseph Haydn (1732-1809) を訪問した Wien 来訪に次いで、2 回目の 1807 年の Wien 訪問の折には、その時に知り合った Beethoven との間に懇意な関係が築かれている。

 その結果この両者は、Beethoven による Symphonie in B-dur (Nr. 4)、Drei Quartett für Streicher in F-dur, c-moll und C-dur („Razumovsky-Quartett”)、Konzert für Violine und Orchester in D-dur、Coriolan-Ouvertüre 及び Konzert für Klavier und Orchester in G-dur (Nr. 4) を含む、この時期の Beethoven による最新作の英国に於ける出版権を Clementi に保証するという内容の、出版契約を取り交わす事となった。

 早くもその年の 4 月 22 日には、その契約が交わされた諸作品の内の、Konzert für Klavier und Orchester in G-dur を含む 3 作品が、出版準備の為に London に向けて発送されている。

 

 


Beethoven
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補筆は執筆者による

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 16«
[Archiv / Musik 2014 Nr. 7]
へ続く

 

 


Ferdinand Ries
に関しては
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 3]
以降を参照

 

 


上部の写真:


1807 年に Beethoven の
Konzert für Klavier und Orchester in G-dur の
初演が行われた
Wien の 中心地に位置する
Lobkowitz 侯爵邸


Austria の画家及び銅版画家の
Richard Moser (1874-1924)
による彩色銅版画

1911 年制作

 

 

 

 

 

 

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