Musik 2014 Nr. 8

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 17

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 16«
[Archiv / Musik 2014 Nr. 7]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) の Symphonie in c-moll (Nr. 5, op. 67) と Symphonie in F-dur „Pastoral-Symphonie” (Nr. 6, op. 68) 及び Fantasie in c-moll für Klavier, Chor und Orchester („Chorfantasie”, op. 80) の初演と共に、Konzert für Klavier und Orchester in G-dur (Nr. 4, op. 58) が公開初演された、1808 年 12 月 22 日の Theater an der Wien に於ける Beethoven 自身の利益の為の演奏会、またはその前月の 15 日に矢張り Wien に於いて行われた、慈善演奏会の為の練習中に関する出来事として、以下の様な記録が残されている。

 


 「Beethoven はその練習中に劇場の Orchester を非常に怒らせてしまい、最早 [その劇場の指揮者をしていた] Ignaz von Seyfried [1776-1841] や、[同じく指揮者及び Violine 奏者で Theater an der Wien の音楽監督であった] Franz Clement [1780-1842] 達だけが、それを何とか解決しようとしていた様な状況だった。
長い時間をかけた説得と、練習に Beethoven 自身は立ち会わないという条件の下に、漸く Orchester の団員達は演奏をする事に同意した。
舞台後部の大きな部屋でその練習が行われている間、Beethoven は隣接する控室の中を行ったり来たりして歩き回っていたが、それには [1806年の „Fidelio” 第2版の初演で Florestan の役を歌った歌手の] Joseph August Röckel [1783-1870] が付き添っていた。
練習の方は一つの楽章が終わる毎に、Seyfried が Beethoven の所に来て批評を求めるという様子だった。」

 

 

 また 12 月 22 日の演奏会に関しては、作曲家の Johann Friedrich Reichardt (1752-1814) による以下の様な記録が残されている。

 

 「 [・・・] 私はこの演奏会をどうしても見逃す訳には行かなかったので、その日の昼頃に Lobkowitz 侯爵 [Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 1772-1816] が、一緒に彼の桟敷席に行こうという親切な申し出をされたのを大変有難く受けた。その席で我々は 6 時半から 10 時半迄の間厳しい寒さを耐え忍んだが、とても良いもの、そしてそれ以上にとても力強いものを容易に沢山経験出来るという事は本当なのだと確信した。
この上なく気立てが良く、また繊細な神経の持ち主である侯爵は、舞台にとても近くその真下に Orchester と指揮をする Beethoven をすぐ間近に見る事の出来る彼の一等桟敷席を、演奏会が未だ全て終わる前に去って行ったが、失敗の目立つその演奏は、我々の忍耐力をかなりな程度に迄試すものではあったにも拘らず、私は侯爵に同行するという気は余り持たなかった。
Beethoven はこの彼自身の演奏会によって今年最初で唯一の、もし彼が望めば一年中何時でも得る事が出来たであろう現金収入を得たが、可愛そうにもその開催と演奏に於いて幾つもの大きな反発を受け、若干の支持者しか得る事が出来なかった。
そのため、Orchester 奏者と歌手達はこの演奏会の為に実に様々なところから寄せ集められており、また演奏された曲目は例外無く全て非常に難易度の高いものであったにも拘らず、全曲を隈なく練習するという事が出来ていなかった。
それでも 4 時間もの間全てこの実りの多い天才で、且つ疲れを知らぬ職人の作品が演奏されたというのは驚愕に値する。 [・・・] 」

 

 Beethoven がこの演奏会によって実際にどれ程の利益を得たのかは分かっていない。

 

 1771 年に Wien の音楽家の未亡人と孤児の為に、Austria の作曲家 Florian Leopold Gaßmann (1729-1774) によって設立された „Wiener Tonkünstler-Sozietät” (Wien 音楽家協会) による慈善演奏会が、上記の演奏会が開かれたのと同じ 12 月に 2回、Wien の Theater am Kärntnertor (宮廷劇場の一つ) に於いて催された。
その 1 回目は上記の Beethoven による演奏会と同日で、2 回目はその翌日の 23 日に行われたが、Esterházy 侯爵家から年金付きで解雇された後、当時は未だ Wien 郊外であった Windmühle (Gumpendorf に含まれる) に住んでいた、その当時 76 歳の Joseph Haydn (1732-1809) に敬意を表するという意味で、彼の Oratorium „Il ritorno di Tobia” (Tobia の帰還、Hob. XXI:1) がその曲目に選ばれた。

 この作品は 1775 年に Haydn がこの協会の為に作曲し、同年 4 月に初演されてこの協会に多大な収益をもたらした成功作であった。
それから 33 年後にもう一度再演される事になった今回の演奏会では、この作品だけでは一晩の演奏会の長さに十分では無いという理由により、この Oratorium の前に 22 日には Sankt Petersburg の宮廷楽長 Sigismund von Neukomm (1778-1858) による Orchesterphantasie が、23 日には Beethoven の Klavierkonzert が演奏されるという事になった。

 

 


Johann Friedrich Reichardt 他
による記録の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 18«
[Archiv / Musik 2015 Nr. 1]
へ続く

 

 


Sigismund von Neukomm
に関しては
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 8]
を参照

 

 


上部の写真:


Theater an der Wien の
舞台と客席

 

 

 

 

 

 

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