Musik 2015 Nr. 1

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 18

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 17«
[Archiv / Musik 2014 Nr. 8]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) の Symphonie in c-moll (Nr. 5, op. 67) と Symphonie in F-dur „Pastoral-Symphonie“ (Nr. 6, op. 68)、及び Fantasie in c-moll für Klavier, Chor und Orchester („Chorfantasie”, op. 80) が初演された、1808 年 12 月 22 日の Theater an der Wien に於ける演奏会の当日とその翌日に、Wien の Theater am Kärntnertor に於いて „Wiener Tonkünstler-Sozietät” (Wien 音楽家協会) による慈善演奏会が催された。

 この „Wiener Tonkünstler-Sozietät” というのは、Austria の作曲家で当時 Wien の宮廷に於ける Ballett の作曲家、及び皇帝 Joseph II. (1741-1790) の宮廷作曲家の地位にあった、Florian Leopold Gaßmann (1729-1774) の主導により 1771 年に創設され、別名 „Gesellschaft der Wiener Tonkünstler zum Unterhalte ihrer Witwen und Waisen” (Wien の音楽家の未亡人と孤児の生計の為の協会) とも呼ばれた、死亡した音楽家の家族の社会保障を本来の目的とした私的組織であったが、同時に当時の帝国内に於いては最初で、またこれより後の 1812 年に „Gesellschaft der Musikfreund in Wien” (Wien 楽友協会) が設立される迄唯一の、演奏会を主催する私的な協会であった。

 この協会を創設した Gaßmann は、その翌年に Wien の宮廷楽長に昇進している。
Gaßmann はまたこれに先立つ 1766 年に、Venezia で知り合った当時 16 歳の Antonio Salieri (1750-1825) を Wien に連れて帰り、彼に作曲の教授を行った。Salieri は Gaßmann の没後その後継者として皇帝の宮廷作曲家、及び後には Wien の宮廷楽長の地位を受け継いでいる。

 この Wiener Tonkünstler-Sozietät は、劇場に於ける Oper の公演が一時中断される四旬節と待降節の年 2 回、大規模な編成による演奏会を催し、その演奏会はそれぞれ繰り返されて 2 回ずつ開催されるのが恒例となっていた。
1808 年 12 月の演奏会では、Joseph Haydn (1732-1809) の Oratorium „Il ritorno di Tobia” (Tobia の帰還、Hob. XXI:1) が採り上げられたが、それに加えて Beethoven 主催による演奏会と重なった 1 回目の 22 日には、Sigismund von Neukomm (1778-1858) による Orchesterphantasie が演奏され、翌 23 日に行われた 2 回目の公演では、Beethoven による Klavierkonzert が演奏されるという事になった。

 Beethoven の Konzert für Klavier und Orchester in G-dur (Nr. 4, op. 58) は、1807 年 3 月に Wien の Lobkowitz 侯爵邸で開催された半私的演奏会に於いて、Beethoven の指揮及び Klavier の独奏の下に初演され、また上記の 1808 年 12 月 22 日の演奏会に於いては、同じく作曲者の演奏によって公開初演されたが、その翌日の Wiener Tonkünstler-Sozietät による 2 回目の演奏会では、同 Konzert を Beethoven は自身の Klavier の嘗ての生徒の一人で、既に作曲家及び Klavier 奏者としての活動を開始しており、丁度その年の 8 月から再度 Wien に滞在していた、Ferdinand Ries (1784-1838) が演奏する様に采配した。

 しかし Beethoven が楽譜を携えて Ries を訪れ、それを初めて彼に伝えたのは漸く演奏会の 5 日前になってからで、Ries にとっては全く初めての Konzert を、5 日間で十分演奏出来る迄に準備をするのは出来そうも無かったので、その Konzert の代わりに同じく Beethoven による、Konzert für Klavier und Orchester in c-moll (Nr. 3, op. 37) を演奏しても良いだろうかと、Beethoven に持ち掛けた。
Ries はこれに先立つ 1804 年 8 月 1 日に、Wien の Augarten で行われた演奏会に於いて、この Beethoven による c-moll の Konzert を演奏して、Klavier 奏者として Wien の音楽界に début していたという経緯がこれに先立ってあった。

 しかしこの Ries による申し出に対して Beethoven は、踵を返して直ちに Ries と同じく当時若い Klavier 奏者であった Friedrich Stein (1784-1809) の所に行った。Stein は Beethoven から演奏を強要されて居るようには感じたが、考える所があって取り敢えずはこの Beethoven の申し出を受けた。しかし Stein にとっても状況は同じで、5 日間で新作の Konzert の練習を完了する事は出来なかったので、演奏会の前日になって Beethoven を訪ね、Ries と同じく c-moll の方の Konzert ではどうかと所望した。事がここに至って遂に Beethoven も妥協せざるを得ず、この演奏会では結局 Ries が Konzert für Klavier und Orchester in c-moll を演奏するという事を Beethoven は受け入れた。

 一方 Konzert für Klavier und Orchester in G-dur (Nr. 4, op. 58) の方は、この年の 8 月に Wien の Kunst- und Industrie-Comptoir より出版され、この時期の Beethoven の唯一の Klavier の生徒であった、Austria 大公 Rudolph (1788-1831) に献呈された。

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 19«
[Archiv / Musik 2015 Nr. 2]
へ続く

 

 


Sigismund von Neukomm
に関しては
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 8]
以降を参照

 


Ferdinand Ries
に関しては
[Archiv / Kommentar 2014 Nr. 3]
以降を参照

 

 


上部の写真:


Wiener Tonkünstler-Sozietät
の主催による演奏会が行われた
Wien の
Theater am Kärntnertor

 

 

 

 

 

 

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