Musik 2015 Nr. 3

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Klavierkonzerte

 


Teil 20

 

 

 

 

 

 

 


»Klavierkonzerte Teil 19«
[Archiv / Musik 2015 Nr. 2]
より続く

 


Beethoven による
5 曲の Klavierkonzerete の
作曲の経緯
について

 

 1809 年初頭の Ludwig van Beethoven (1770-1827) の固い決心と共に、殆ど実現しそうになっていた彼の宮廷楽長としての Kassel 行きを何とか阻止し、Beethoven を Wien に留めておく為の契約を成立させようとする動きを最初に始めたのは、Anna Marie von Erdődy 伯爵夫人 (1779-1837) であった。
その後実際の契約書原稿の起草や、その為の Beethoven との条件の交渉等は、Ignaz Gleichauf von Gleichenstein 男爵 (1778-1828) が担当した。

 Ignaz Gleichauf von Gleichenstein 男爵 はドイツの法律家で、1801 年以来 Wien の宮廷企画書記官を務めていた。
Beethoven と彼は 1807 年頃に知り合っているが、それ以後 Beethoven の特に親しい友人の一人となっている。
また Anna Marie von Erdődy 伯爵夫人は、既に比較的早くから Beethoven の讃美者の一人となっていたが、丁度この時期の 1808 年から翌年に掛けて、Beethoven は伯爵夫人が Wien の Krugerstraße に所有していた大きな建物の中に住まいを構えていた。

 Beethoven が Wien に留まって Kassel の宮廷楽長職を放棄する代わりに何を望んだのかに関しては、この交渉の為に Beethoven が Gleichenstein に資料として渡した原稿が残されている所から具体的に分かる。
この交渉の最初の段階で Beethoven が希望したのは以下の様な内容。

 


1.Beethoven が受け取る事になる報酬は、彼の自由意思によってそれが放棄される迄保証される事
2.その報酬を受け取る代償として如何なる拘束も受けない事
3.出来るだけ早く宮廷への出仕を開始出来るという約束として、可能であれば
   Salieri [Antonio Salieri, 1750-1825, 当時の Wien の宮廷楽長] や
   Eibeler [Joseph von Eybler, 1765-1846, Wien の宮廷副楽長] に代わって
   帝室宮廷に於ける肩書き
4.劇場監督局の管理委員としての契約
5.報酬の支払いはその支払いをする当事者の没後も相続人によって継続される事

 


上記の劇場監督局の管理委員となる事によって Beethoven が望んだ事の一つは、管理委員会に異動があった場合ても、自身の使用の為に決定された演奏会の日程が変更乃至は取り消される事が無いという事で、それへの代わりとして有益な慈善演奏会の為に一年に新作を一つ書くか、またはそれを 2 回指揮するという義務を受け入れると考えている。

 しかしその後彼の考えは変わり、劇場監督局の管理委員への就任希望に関しては、その地位は結局不愉快な事以外何ももたらさないだろうからと取り下げ、また宮廷に於ける肩書きに関しても、より繊細に扱うべきだと考えるようになり、帝室宮廷楽長の地位を要求するというよりは、宮廷に仕える事が出来ればそこから得る報酬分を今回の契約で貴族達が支払う事になる金額から差し引くとした方が、何れは帝室宮廷に仕えるのが自分の最大の望みだという事を最も良く表すことが出来るという考えに至った。

 その後これ等の諸条件と Beethoven の希望が契約の原稿として、恐らく Gleichenstein の手によって整理されて纏められた。
これ等の諸条件は当事者の貴族達に受け入れられ、遂に Beethoven に Kassel の宮廷楽長職を放棄させて Wien に留まらせる契約が成立した。


この契約によって以下の事が取り決められた。

 

 「音楽家及び作曲家として非常な能力と才能を持つ Beethoven が余計な心配事から解放され、高貴で洗練された芸術作品を生み出すという一つの事に集中して、最大の期待に応える事が出来る様

Austria 大公 Rudolph (1788-1831) が 1,500 Florin
Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵 (1772-1816) が 700 Florin
Ferdinand von Kinsky 侯爵 (1781-1812) が 1,800 Florin

を分担して合計で 4,000 Florin を、毎年 2 回に分割して Beethoven に支払う。」

 


この支払は Beethoven が将来宮廷に任用されて、これに相当する給与を得る迄継続されるが、宮廷への登用が叶わなかった場合、又は不慮の事故や高齢によって Beethoven の芸術活動が不可能になった場合でも、終身に亘って支払われるとされた。
その代わりに Beethoven は居を Wien に定め、用務や芸術上の理由によって限定された期間 Wien を離れる場合にも、上記の契約締結者に通知してその了解を得なければならないと定められた。

 

 


Beethoven による原稿
及び契約書の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Klavierkonzerte Teil 21«
[Archiv / Musik 2015 Nr. 4]
へ続く

 

 


上部の写真:


「1809 年 2 月 26 日に
Rudolph 大公殿下の手より受け取る」
という Beethoven による書き込みのある
3 人の貴族と
Beethoven による
契約書

第 1 面

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.