Musik 2015 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 1

 

 

 

 

 

 

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) は彼による 5 作目と 6 作目の Symphonie の作曲を同時期に並行して進めていたが、それ等が 1808 年に完成すると、Leipzig の音楽出版社 Breitkopf & Härtel に宛てた同年 6 月 8 日付の手紙で、新作のこれ等 2 曲の Symphonie (Nr. 5 in c-moll, op, 67 と Nr. 6 in F-dur, op. 68) 及び、前年に作曲が完了して同年 9 月に Eisenstadt に於いて初演された Messe in C-dur für Sopran, Alt, Tenor Baß, Chor und Orchester (op. 86) と更に、同じく前年から 1808 年に掛けて作曲された Sonate für Violoncello und Pianoforte in A-dur (op. 69) の計 4 曲の提供を申し出て、合計 900 Florin の価格で売却するという交渉を始めている。

 その手紙への Breitkopf & Härtel からの返信では、教会音楽は需要が少ないからという理由で Messe in C-dur の受け入れが断られ、他の 3 曲には興味を示したものの、全体の価格を下げる様に求められた。
それに対する同年 7 月 10 日付の手紙の中で Beethoven は、Breitkopf & Härtel が前記の 4 作品全てを買い取るならば、それ等に加えて更に他の 2 曲の Sonate für Pianoforte 或は、場合によっては 1 曲の Symphonie を提供出来るかも知れないと書き送っている。

 この更なる Symphonie というのはその時点では未だ作曲に着手されてはいなかったが、op. 67 と op. 68 の 2 曲を完成させた後に、早速次の Symphonie の作曲に取り掛かる気持ちが、既にこの時の Beethoven にはあったという事がこの手紙より窺い知る事が出来る。
しかし実際にはこの時に Beethoven の脳裏に思い浮かんだこの考えは、この時点では未だ実現される事が無かった。

 その後になって完成された Beethoven の 7 作目となる、Symphonie in A-dur の作曲の為の作業の記録は、Gustav Adolf Petter (1818-1868) が一時期所有していた事から、「Petter スケッチ帳」 と現在では呼ばれている楽譜帳に残されている。
このスケッチ帳は元々は別々であった 2 つの部分から成っているが、以前には前述の Beethoven の手紙での言及もあって、このスケッチ帳に記載された時期、及び同時に Beethoven の Symphonie in A-dur の作曲開始の時期は 1809 年と考えられて来た。
しかしその後にドイツの音楽学者 Max Ernst Unger (1883-1959) による、このスケッチ帳に用いられた用紙の透かし模様の詳細な研究によって、そうでは無い事が立証された。

 Unger に拠るとこのスケッチ帳の最初の部分は 9 枚の用紙から成っていて、それが用いられた時期は 1809 年であり、またその後に続く部分は 65 枚の用紙から成り、大変特徴的でこれ以外の Beethoven のスケッチ帳では殆ど見られない独特なな透かし模様を持っている事から、1811 年の中頃から翌年に掛けて用いられたものと断定されている。
Petter スケッチ帳の大半を占めるこの後半の部分の多くが、Symphonie in A-dur 及びその後の 8 作目になる Symphonie in F-dur の為のスケッチである事から、Beethoven がこの両方の Symphonie の作曲に着手した時期は、5 作目及び 6 作目の Symphonie の完成に続く 1809 年では無く、暫く中断の時期を挟んだ 1811 年であった事が分かった。

 この Petter スケッチ帳は Gustav Adolf Petter によって新しく製本されたものだが、それ以前の Beethoven の時代に既に一度製本されている。この時の製本は後の製本の様に中綴じによるものでは無く、頁の端から約 1 cm の所に 16.5 cm の間隔で 2 つの穴を用紙に開けて、綴じ糸を通し易いようにしている。
このスケッチ帳の頁の中には部分的に Beethoven の没後 19 世紀中に、Gustav Adolf Petter によって一枚一枚が外されて売却されたか又は贈答されて、別々の所有者のものとなって散逸していたものもある。
現在ではそれ等に属する 9 枚の紙葉が集められ、対面する頁に付いたインクの染みや、この一枚一枚の楽譜に開いている穴の寸法と間隔から、現在は 74 枚から成っているが元は 80 枚余りから成っていたと推定されている、元のスケッチ帳全体の姿をほぼ再現する事が出来ている。

 この Petter スケッチ帳の内 40 頁以上が Symphonie in A-dur の第 2 楽章と終楽章に割かれているが、興味深い事には第 2 楽章 Allegretto の Thema が既に完成された姿で常に変わる事無く書かれており、その用い方と形式の実に数多くの試みがここでは行われている。
またこのスケッチ帳には、後になって 9 作目の Symphonie in d-moll の終楽章に於ける、合唱の部分で結実する事になる最も初期の着想も記されている。

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 2«
[Archiv / Musik 2015 Nr. 8]
へ続く

 

 


上部の写真:


元は Petter スケッチ帳に属していたが
後に外された一葉

Symphonie in A-dur の
第 1 楽章及び第 2 楽章
の為のスケッチ

 

 

 

 

 

 

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