Musik 2015 Nr. 8

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 2

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 1«
[Archiv / Musik 2015 Nr. 7]
より続く

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) は 1811 年の 8 月初頭から 9 月半ば迄、避暑で Bohemia 王国の温泉保養地として広く知られる Teplitz に滞在した。
そこから Wien への帰途、彼の重要な後援者の一人であった Karl Alois Lichnowsky 侯爵 (1761-1814) の、Schlesien の Troppau 近郊の領地 Grätz の居城を訪ねた。
そこで Beethoven は Oper の作曲の構想を抱いて、それに相応しい台本がないかを模索し、また Symphonie in A-dur の作曲の作業をそこで開始したと推定されている。

 1811 年から翌年に掛けての冬の季節に Beethoven は、夏の休暇で Teplitz に行く前に続いて再度体調を崩す。
この冬の季節に Beethoven は、1810 年に続いて 8 曲の Ireland 民謡の編曲を、Scotland の出版業者で民謡収集家の George Thomson (1757–1851) の為に書き、2 月 29 日付の手紙と共にその Beethoven 自身が校閲した写譜士による筆写譜を、Edinburgh の彼の元に送付するという事も行っているが、何よりもこの冬の Beethoven の仕事の中心を占めるのは、Symphonie in A-dur の作曲であったと考えられている。

 1812 年 3 月に Beethoven は、Estonia の Reval に居るドイツ人劇作家の August von Kotzebue (1761-1819) より手紙を受けたが、Beethoven は彼に Oper の為の台本の執筆を許可した。
Beethoven はこの前年に祝祭劇 „Die Ruinen von Athen” (Athen の廃墟) への付随音楽 (op. 113) 及び、同じく祝祭劇 „König Stephan” (Stephan 王、I. István) への付随音楽 (op. 117) を作曲しているが、この両方の祝祭劇の台本作者が Kotzebue であった。

 1808 年より Pest (現在の Budapest の一部) で新しい劇場の建設が始まり、Austria 帝国皇帝 Franz I. (1768-1835) の聖名祝日であった 1811 年 10 月 4 日に、祝祭劇及びその前後に音楽劇を上演してその劇場の落成式を厳かに挙行するという事が計画されて、その台本の制作が August von Kotzebue に依嘱された。
中心となる祝祭劇の前後に上演される音楽劇の作曲は Beethoven に任され、1811 年の夏季休暇の季節に Teplitz に滞在している間のほんの数週間という期間で、Beethoven はその作曲を終えている。

 しかし本来予定されていた皇帝の聖名祝日に落成式は行われず、遅れて翌年の 2 月 9 日にその落成式とこれ等の作品の初演が行われた。
この Beethoven が作曲した音楽劇の内、先に上演されたものが „König Stephan” という名前で、後に上演されたものはこの落成式の本来の中心であった祝祭劇と同じ „Die Ruinen von Athen” という標題であった。

 この冬に作曲を進めていた Beethoven の 7 作目となる Symphonie in A-dur は、この落成式が Pest で行われた少し後の同年 4 月に完成した。

 この年の 5 月 8 日に Graz の Joseph von Varena に宛てた手紙の中で、Beethoven は以下の様に書いている。

 


[・・・]
いつも病弱で余りにも忙しく
あなたのお手紙に返信する事が出来ませんでした。
[・・・]
誉れある Ursula 修道院の女子学校の来るべき慈善演奏会の為には
私はすぐにでも全く新しい Symphonie をあなたにお約束致します。
[・・・]

 


 また、Leipzig の楽譜出版社 Breitkopf & Härtel が、この年の 6 月 1 日に受け取った Beethoven からの手紙には以下の様に書かれている。

 


[・・・]
今 3 曲の新しい Symphonie を書いていますが
その内の 1 曲は既に完成しました。
また Hungary の劇場の為にもいくらか書きました。 
[・・・]

 


 Hungary の劇場の為に書いたというのが、前述の „Die Ruinen von Athen” への付随音楽、op. 113、及び „König Stephan” への付随音楽、op.117 の事で、この時点で Beethoven が完成したと言っているのが 7 作目となる Symphonie in A-dur だが、この手紙によってこれに続く 8 作目となる Symphonie ばかりでは無く、この時より 12 年後になって漸く完成する事になる、9 作目で Beethoven にとって最後となる Symphonie 迄が、ほぼ同時期に計画されていたという驚くべき事実がこの手紙によって伝えられている。

 

 


Beethoven
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 3«
[Archiv / Musik 2016 Nr. 1]
へ続く

 

 


上部の写真:


中央を流れる Donau 河の
右側に見えるのが
Kotzebue 及び Beethoven の作品を以て
落成式の行われた劇場が建設された
Pest の町


Donau 河の左側に見える
王宮のある Buda (Ofen) と
Pest は
1873 年に合併されて
それ以来 Budapest という一つの町になっている


Pest には
1723 年以来それ迄
王国の行政官庁が置かれており
Budapest 全体の凡そ 3 分の 2 の面積を占める

 

 

 

 

 

 

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