Musik 2016 Nr. 1

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 3

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 2«
[Archiv / Musik 2015 Nr. 8]
より続く

 

 1812 年 5 月 8 日に Graz の Joseph von Varena に宛てた手紙の中で、Ludwig van Beethoven (1770-1827) が触れた新しい Symphonie に関して、その 2 箇月後の 7 月 19 日に彼は同じく Joseph von Varena 宛ての手紙の中で再度取り上げて、その Symphonie は既に完成しており、Austria 大公 Rudolph (1788-1831) が筆写譜を作成したので、その費用を支払う必要も無いから、若し必要なら只知らせて貰いたいと書き送っている。
この若し必要ならというのは、Graz にある Ursula 修道院の女子学校の為の慈善演奏会に於いて演奏するならという事を意味している。

 この件に関してこれに続く手紙は、翌年の 3 月にもう一度 Joseph von Varena に宛てて書かれ、以下の様な内容が含まれる。

 


[・・・]
私の健康状態は最良とは言い難く
それ以外の境遇に関しても
罪無くしてやはり私の人生で最悪の状態と言えます。
それはそうとしても、それ等の事とか、またこの世界のなにものも
私があなたのその純真無垢で苦しんでいる修道院の女性達を
私のこの限られた才能で以て可能な限り助けるのを止める事は出来ないでしょう。
その為には全く新しい 2 曲の Symphonie がお役に立つでしょう。
[・・・]

 


 この 2 曲の Symphonie とは、Symphonie in A-dur 及びそれに続く Symphonie in F-dur を指している。
また上記で Rudolph 大公が筆写譜を作成したというのは、大公の宮殿で行われる事が予定されていた、これ等の Symphonie の試演の為と考えられる。
それに関して Beethoven はこの年 4 月の聖週間中に、Rudolph 大公に宛てて何通かの手紙を書いている。

 先ず 14 日に書いたと推定されている手紙では、Symphonie in A-dur の筆写譜は上記の様に既に前年に Rudolph 大公によって作成されていたが、この時期は写譜士が忙しくて Symphonie in F-dur の方の楽譜が未だ間に合わない事、また意思は十分にあっても自身の体調が悪く、翌日に予定されていた試演は困難なので、それを 18 日の日曜日に延期する事を申し込んでいる。

 その 2 日後に書かれたと推定されている同じく Rudolph 大公に宛てた手紙で Beethoven は、今迄は彼を取り巻く暗鬱な状況の中で、何とかそれが改善されるよう頑張って来たが、その事情は以前と全く変わる事が無く、当初 Symphonie in A-dur と Symphonie in F-dur の 2 曲を、上記 Graz の慈善演奏会で演奏しようと考えていたが、現在の自身の経済状態を顧みればその計画は諦めざるを得ない。その代わりに 2 回の演奏会を Wien に於いて開催しようと決心したが、その会場としては今の計画から考えると大学の大講堂が最も利点があり、また自身の名誉という点でも相応しい。そこでその会場の使用許可が下りる様に、Schweiger 男爵を通じて学長に頼んで貰えないでしょうかという内容を丁重な文章で書いている。

 それと同時に、Rudolph 大公にその言葉を伝えて貰いたいと頼んだ Joseph Schweiger von Lerchenfeld 男爵自身にも、Beethoven は同様の内容の手紙を送っており、更に自身と自分の芸術の現在のこの運命的な状況から抜け出す為に、更に他を探さないといけないから、もしこの希望が叶わない場合には可能な限り早く知らせて貰いたいと頼んでいる。

 同月 19 日付の Beethoven からその特に親しい友人の一人、Nikolaus Zmeskall von Domanovecz (1759-1833) に宛てた手紙から、この Beethoven の希望は、Rudolph 大公を通じて頼んで貰ったにも拘らず、早くも翌日には却下された事が分かる。
その中で更に Beethoven は、その後の可能性としては Kärntnerthor Theater と Theater an der Wien ぐらいしか無いが、どちらも 1 回の演奏会の開催は出来るかもしれないが 2 回は無理であろうから、Augarten にその逃げ道を見出さなければならないかもしれない。そこならば 2 回の開催も可能だろうが、Zmeskall はどう思うかと相談を持ち掛けている。
そして更に、その翌日に若し Beethoven が出掛ける事が出来れば、Rudolph 大公の宮殿で Symphonien の試演が行われると伝えている。

 因みにここで Beethoven が言及している Augarten とは、当時の Wien の市域外に位置する嘗ての皇帝の狩猟場の一角に建設された庭園で、Wien の中では最も古い Barock 式庭園として現在にも残されている。
そこには小規模の宮殿もあったが、1683 年の Osmân 帝国による第 2 次 Wien 包囲戦の折に全域が破壊された。その後 1705 年以降から宮殿と庭園は再建され、その時に建設された演奏会の開催も出来る庭園 Hall は、現在 Europe に於いて 2 番目に古い歴史を持つ 「磁器工房 Augarten Wien」 が使用している。

 

 


Ludwig van Beethoven
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 4«
[Archiv / Musik 2016 Nr. 2]
へ続く。

 

 


上部の写真:


Augarten が再建された折の
18 世紀初頭に建築された
庭園 Hall

 

 

 

 

 

 

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