Musik 2016 Nr. 4

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 6

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 5«
[Archiv / Musik 2016 Nr. 3]
より続く

 

 1813 年の秋に Ludwig van Beethoven (1770-1827) は、Joseph Schweiger von Lerchenfeld 男爵を通じて Wien 大学の学長より、Beethoven が演奏会を開催する為に大学の大講堂の使用許可が下りるよう取り計らって貰えないだろうかと、Austria 大公 Rudolph (1788-1831) に頼んでいる。
この年の四旬節期間中の開催を考えていた Beethoven の希望は受け入れられなかったが、今回は使用許可が下り、この年の 12 月 8 日に Beethoven は、Wien 大学の大講堂に於いて演奏会を開催する事が出来る様になった。

 これに先立つこの年の 10 月 30 日から 31 日に掛けて、Kinzig 川が Main 河に流れ込む Rhein-Main 地域東部の、Grimm 兄弟の町 Hanau に於いて、Napoléon Bonaparte (1769-1821) の率いる France 軍と、Wrede 伯爵 Carl Philipp Joseph (1767-1838、1814- 侯爵) によって率いられた Bayern と Austria の軍による戦いが行われた。
12 月 8 日の演奏会は、この Hanau の戦いで負傷した Bayern と Austria の軍人の為の慈善演奏会として、Beethoven と彼の友人の Johann Nepomuk Mälzel (1772-1838) の主催による 「大演奏会」 として開催された。
Mälzel はこの頃既に自動機械の製作によって Europe 中で名を知られていたが、この演奏会の 2 年後には Wien の宮廷機械技師に任命されている。

 
この日の演奏会の事前に公表されていた曲目は以下の通り。

 
 1.Beethoven による全く新しい 7 作目の Symphonie in A-dur
 2.それぞれ Dussek と Pleyel によって作曲された、全曲に亘る Orchester 伴奏付の
    Mälzel による自動演奏 Trompete によって演奏される 2 つの行進曲
 3.Wellington の勝利、又は Vittoria の戦い

 

 Beethoven はこの演奏会に於いて 5,000 人を超える聴衆の前で指揮をした。
またこの演奏会では Beethoven と親しい Ignaz Schuppanzigh (1776-1830) が Konzertmeister を務めたが、その他にも Wien の宮廷楽長であった Antonio Salieri (1750-1825)、これより後の 1813 年に Theater an der Wien の Konzertmeister に就任する Louis Spohr (1784-1859)、また Joseph Haydn (1732-1809) の推薦によって 1804 年にその後任として Esterházy de Galantha 侯爵 Nikolaus II. (1765-1833) の宮廷楽長職を務め、Wien に於いては Beethoven とも親しかった Johann Nepomuk Hummel (1778-1837) や、丁度この頃 Salieri の下で作曲の勉強の為に Wien を訪れていた Giacomo Meyerbeer (1791-1864)、同じく Salieri の生徒で Beethoven とも親しかった Ignaz Moscheles (1794-1870)、またこの時期一時的に Wien に滞在していた Kontrabaß の最初の国際的名奏者で、Beethoven を含めて 19 世紀の Orchester 音楽と室内楽に於ける Kontrabaß 奏法の発展に大きく寄与した、Domenico Carlo Maria Dragonetti (1763-1846) 等の既に著名か、或は後に広く名を知られる事になる多くの音楽家がこの時の演奏に参加していた。

 この演奏会は大変好評を博した様で、12 月 12 日の日曜日にもう一度同じ演奏曲目で演奏会が開かれる事になり、合計で 4,000 Gulden の純利益を上げるという大きな成功を収めた。
演奏会では Symphonie in A-dur の第 2 楽章 Allegretto が特に大好評で、両方の演奏会に於いて聴衆の要求により、その場でもう一度繰り返し演奏せざるを得なかったという記録が残されている。
また新聞社による批評はどれも一致して好意的なものが発表されているが、特に Leipzig の Allgemeine Musiklaische Zeitung (一般音楽新聞)では、両方共の演奏会を聴いた批評家によって以下の様にとても高く評価されている。

 

 


[・・・]
作曲者の精確な指揮によって
演奏会での一般的な楽しみが熱狂的なものへと高められた。
その中でも特に新作の最初に演奏された Symphonie が
それが受けた大きな拍手喝采と
その並外れた受容に寄与している。
才能豊かな Beethoven によるこの新しい作品が
今回の演奏会の様にとても巧みに演奏されるのを聴くと
その美しさを高く讃え
また全く完全に味わう事が可能となる。
[・・・]
この曲は Beethoven による全ての Symphonie の中で
最も旋律が豊かで如才無く
また最も理解し易い。
[・・・]

 

 


Leipzig の
Allgemeine Musiklaische Zeitung
による批評の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 7«
[Archiv / Musik 2016 Nr. 5]
へ続く

 

 


Domenico Carlo Maria Dragonetti
に関しては
[Archiv / Kommentar 2016 Nr. 4]
を参照

 

 


上部の写真:


Beethoven による
Symphonie in A-dur の
初演が行われた
旧 Wien 大学の新大講堂


Lothringen の Lunéville 出身の建築家
Jean Nicolas Jadot de Ville-Issey (1710-1761) による
France の古典的 Barock 様式に基づいた設計によって
1753 年から 1755 年に掛けて建築された


Jean Nicolas Jadot de Ville-Issey は
Lothringen 及び Bar 大公 Franz III. (1708-1765) の
宮廷建築士であったが
1745 年に Franz III. が
Franz I. として
神聖 Roma 帝国皇帝に即位すると
彼に同行して Wien に移り
Redoutensaal の設計
王宮前の Michael 広場の改築
現在の Schönbrunn 宮動物園の展示館
Kapuziner 教会地下の帝室納骨堂
等の建築設計を担当した

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.