Musik 2016 Nr. 5

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 7

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 6«
[Archiv / Musik 2016 Nr. 4]
より続く

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) による „Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria” (Wellington の勝利、又は Vittoria の戦い)、及び Symphonie in A-dur の初演は大きな成功を収め、4 日後の 12 月 12 日にもう一度再演されたが、更にその翌年の 1 月 2 日と 2 月 27 日に行われた、Beethoven の主催による演奏会に於いても両曲が演奏されている。

 Symphonie in A-dur に関して Beethoven は、1812 年 5 月 25 日に Leipzig の楽譜出版社 Breitkopf & Härtel に宛てて書いた手紙の中で、「今 3 曲の新しい Symphonie を書いていますが、その内の 1 曲は既に完成しています」 と書いている。
この手紙で Beethoven が既に完成したと言及しているのが A-dur の Symphonie であったが、それ以前から取引のある出版社にこれ等を伝えている事から、Beethoven は将来 3 曲の Symphonie を Breitkopf & Härtel から出版するか、少なくともその交渉をするつもりであった事が窺える。

 一方 Beethoven の経済状態はこれ等に先立つ 1811 年より、Napoléon 戦争の影響や、1809 年に年俸支払い契約を結んだ貴族達の破産や死亡によって悪化の一途を辿っていたが、更に 1813 年になると Ludwig と同じく Bonn から Wien に出て来て暮らしていた、弟の Kaspar Anton Karl van Beethoven (1774-1815) が結核を患い、その治療や配偶者の Johanna Reiß (1786-1868) と、6 歳になる息子 Karl (1806-1858) の生活を援助する為の費用として、Wien で楽譜出版業を営んでいた Sigmund Anton Steiner (1773-1838) から 1,500 Gulden を借り入れた。

 Symphonie in A-dur 及び „Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria” の、初演以来の数々の演奏会での成功にも拘らず、Beethoven は Steiner から借りた 1,500 Gulden をその後返済する事をせず、その代わりに以下に掲げる 13 作品を以てその返済に代えた。
これ等の作品の所有権を Steiner が持つ事を確認する Beethoven による文書は、1815 年 4 月 29 日付の草稿を基に、5 月 20 日に作成されている。

 


„Fidelio”, op. 72
„Der glorreiche Augenblick”
    Kantate für zwei Soprane, Tenor, Baß, Chor und Orchester, op. 136
Quartett für Streicher in f-Moll, Nr. 11, op. 95
Terzett „Tremate, empi, tremate” für Sopran, Tenor, Baß und Orchester, op. 116
„Wellingtons Sieg oder Die Schlacht bei Vittoria”, op. 91
Symphonie in A-dur, Nr. 7, op. 92
Symphonie in F-dur, Nr. 8, op. 93
Trio für Klavier, Violine und Violoncello in B-dur, op. 97 „Erzherzog”
Sonate für Violine und Klavier in G-dur, Nr. 10, op. 96
Ouvertüre zu „Die Ruinen von Athen”, op. 113
Ouvertüre zu „König Stephan”, op. 117
Ouvertüre Zur Namensfeier in C-dur, op. 115
Zwölf englische Lieder

 


 Beethoven が Symphonie in A-dur の初演で大きな成功を収めて以来、益々その作曲家としての名望は高まる一方であったが、その一つの頂点となったのが 1814 年後半から翌年に掛けての時期で、それは丁度 Napoléon 戦争が終結してその戦後処理の為に、Europe 各国を支配する王侯貴族達が Wien に集結して会議が開催されていた時期と重なる。
その会議の為に Russia 帝国からは皇帝 Alexander I. (1777-1825) 他が参加していたが、それに付き添って皇妃 Elisabeth Alexejewna (Baden 大公女 Luise Marie Auguste, 1779-1826) も Wien に滞在していた。
この機会に Beethoven は 1814 年に作曲した Polonaise für Klavier in C-Dur (op. 89) を Elisabeth Alexejewna に献呈し、1814 年 12 月末か遅くとも翌 1 月初めには皇妃がそれを喜ばしく受け入れたという知らせを得て、Beethoven は自分の最高の希望が叶ったと大いに喜ぶ。

 しかし Beethoven はこの事に勢い付けられて更に、その時点で最良の作品と自身が評価している Symphonie in A-dur を、世界にもっと知らしめる事が出来たら自分はどんなに誇らしく思えるだろうかと考え、今度はこの Symphonie in A-dur の Klavier 用編曲版を Elisabeth Alexejewna に献呈する事を目論む。そしてその為には皇妃に直接手紙を書くよりは、彼女に同行して Wien に来ていた皇妃の侍従長、Alexander Lwowitsch Naryschkin 侯爵 (1760-1826) 宛てに手紙を書いた方が良いだろうか、またもし侯爵が病気にでもなった場合の事を考えると、その場合には他の者か或は皇妃自身に手紙が渡るように、その控えは取っておいた方が良いだろうかと様々に思案を巡らせる。

 この Beethoven の目論見は結局功を奏し、1816 年 11 月に Sigmund Anton Steiner が経営する S. A. Steiner und Comp. より、Symphonie in A-dur の Klavier の為の、また 4 手の Klavier 用、及び 2 台の Klavier の為の編曲版が、Russia 帝国皇妃 Elisabeth Alexejewna への献辞を付して出版された。

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 8«
[ Archiv / Musik 2016 Nr. 6 ]
へ続く

 

 


上部の写真:


Beethoven の
列記された 13 作品の所有権が
Sigmund Anton Steiner に
属する事を証する
Beethoven による確認書

1815 年 5 月 20 日付

 

 

 

 

 

 

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