Musik 2016 Nr. 6

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 8

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 7«
[ Archiv / Musik 2016 Nr. 5 ]
より続く

 

 若い時に英国に暮らした経験があり、その後英国との仕事上の繋がりのあった Johann von Häring は、Ludwig van Beethoven (1770-1827) が仏語は出来たが英語は得意では無かったために、彼が英国の出版者と交渉する時の仲立ちとなってしばしば手伝っていたが、1815 年 3 月 16 日に Beethoven の意向を手紙に書いて、London の George Smart (1776-1867) に宛てて送っている。
George Smart はこれに先立つ同年の 2 月 10 日と 13 日に London の Drury Lane Theatre に於いて、Beethoven による „Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria” (Wellington の勝利、又は Vittoria の戦い、op. 91) を上演して大成功していた。

 その手紙の中で Häring は、Beethoven が 1814 年初旬に当時英国摂政で、後の 1820 年に Georg IV. として国王に即位する事になる George Augustus Frederick (1762-1830) に、上記 op. 91 の総譜の筆写譜を送付したが、その後その曲を摂政に気に入って貰えたか、また献呈を受け入れて貰えるかどうかの返事が何箇月待っても届かないという事を伝え、Beethoven は既にその曲の Klavier の為の編曲版も仕上げたが、摂政からの返事が届く迄は敢えてそれを出版社に売りに行くという事もし兼ねるので、それに対する助言と今後の為の提言をして貰いたいと George Smart に書いている。

 Beethoven は Wellingstons Sieg の Klavier 用編曲版と、その頃に作曲されたその他の作品も含めて、London に於ける出版の為の交渉をしたいと考えており、若し London の出版社より良好な条件が提示されるならば、幾つかの作品を纏めて提供する事も可能だと提案している。
そして以下に挙げる今回の取引の対象となる曲と、Beethoven による希望価格の目録が添えられており、その内目録の 2 番目,4 版目と 9 番目の曲は、Wien に於いて大成功の内に初演が行われたという事が付け加えられている。

 


1 Ernstes Quartett für 2 Violinen, Tenor und Baß        40 Guinea
   [Quartett für Streicher in f-Moll, op. 95 „Serioso”]
2 Schlacht von Vittoria 総譜                          70 Guinea
   [„Wellingtons Sieg oder Die Schlacht bei Vittoria”, op. 91]
3 同 Klavier 用編曲                                  30 Guinea
4 大 Symphonie 総譜                                70 Guinea
   [Symphonie in A-dur, Nr. 7, op. 92]
5 同 Klavier 用編曲                                  30 Guinea
6 Symphonie 調性 f [sic] 総譜                         40 Guinea
   [Symphonie in F-dur, Nr. 8, op. 93]
7 同 Klavier 用編曲                                  20 Guinea
8 大 Trio für das Pianoforte und Violine & Violoncello     40 Guinea
   [Trio für Klavier, Violine und Violoncello in B-dur, op. 97 „Erzherzog”]
9 3 曲の Orchester の為の Ouvertüre (総譜)                各 30 Guinea
   [Ouvertüre zu „Die Ruinen von Athen”, op. 113]
   [Ouvertüre zu „König Stephan”, op. 117]
   [Ouvertüre Zur Namensfeier in C-dur, op. 115]
10 3 曲の同 Klavier 用編曲                              各 15 Guinea
11 大 Sonate für das Pianoforte & Violine in G-dur        25 Guinea
   [Sonate für Violine und Klavier in G-dur, Nr. 10, op. 96]

 


 その同じ年の 4 月か 5 月に Beethoven が、Wien に於いて音楽出版業を営んでいた Pietro Mechetti (1777-1850) に書いた手紙の中で彼は、Ignaz Schuppanzigh (1776-1830) が事前に十分に知らせる事を怠ったのが原因で混乱が生じ、Beethoven が Symphonie in A-dur を含むこの時期に出版を考えていた数々の曲を、Mechetti に託す事が出来ないのを詫びている。

 Italia の Lucca 出身の Pietro Mechetti は、1798 年以来 Wien に於いて、伯父の Carlo (1747-1811) が経営する美術品店で働いていたが、1807 年には Carlo との間に養子縁組契約が成立した。それと同時に Carlo の共同経営者となり、また 1810 年には 2 人が共同で楽譜出版社を設立する。
その翌年に Carlo が亡くなるとその全財産を一人で相続した Pietro は、その後 Wien に於いて美術品店と楽譜出版社の両方を含む „Pietro Mechetti quondam Carlo” を単独で経営していた。

 Beethoven と Pietro Mechetti との 1815 年に於ける関係の記録が残されているが、その年の 3 月に、Russia 帝国皇妃 Elisabeth Alexejewna (Baden 大公女 Luise Marie Auguste, 1779-1826) に献呈された Polonaise für Klavier in C-dur (op. 89) が、又同年 6 月には Lied, Des Krieges Abschied „Ich zieh‘ ins Feld” (WoO 143) が、Mechetti によって Wien に於いて出版されている。

 

 


Johann von Häring
及び
Beethoven
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 9«
[Archiv / Musik 2016 Nr. 7]
へ続く

 

 


上部の写真:


Johann von Häring が
Beethoven の 楽譜出版の意向を伝える為に
London の George Smart に宛てて書いた手紙

1815 年 3 月 16 日付
(最後に 3 月 19 日付の追伸あり)

 

 

 

 

 

 

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