Musik 2017 Nr. 6

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 16

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 15«
[Archiv / Musik 2017 Nr. 5]
より続く

 

 London での出版契約や演奏の交渉を託されて、7 曲の新作の Orchester 用作品の総譜を渡され、1816 年 2 月に Wien から London へ帰った Charles Neate (1784-1877) が、その後何箇月待っても連絡を全く送って来ないという事に対して、強い不快感を Ludwig van Beethoven (1770-1827) は抱いていたが、それを George Smart (1776-1867) から知らされた Neate は、漸くその年の 10 月 29 日になって Beethoven に釈明の手紙を送る。

 その手紙で Neate は、婚約者の家族から強く反対されて非常に困難な状況にあった結婚の件を始めとして、彼が音信不通であった間に直面していた不本意な状況を説明し、何とか自分の敬愛する Beethoven の気持ちを和らげようと努めている。
恐らく Neate が心待ちにしていたであろうそれに答える以下の様な手紙を、凡そそれから 2 箇月後の 12 月 18 日に Beethoven は書いている

 


[・・・]
この様な真摯に書かれた謝罪の手紙に対して
自分は一体どの様に答える事が出来るだろうか。
もう過去のものとなった不当な行いについては
忘れられなければならないし
あなたが長い間待ち焦がれていた
愛情の港にしっかりと辿り着いたという事を
心から願っています。


あなたからの連絡が全く無かったので
A-dur の Symphonie の出版をもうこれ以上遅らせる事は出来ず
ここ [Wien] で何週間か前に出版される運びとなりました。
London に迄それが届くには
更にもう数週間は確実に要するでしょう。
もしこの曲が近い内に
Philharmonic Society で演奏されるという事が無く
またその後に [Beethoven の利益を目的とする] 慈善演奏会という形等で
自分の為に何も企てる事が出来なければ
一体どんな方法でそこから幾らかでも利益を得る事が出来るのか
見当も付きません。

 


 元々 Beethoven は Symphnie in A-dur の出版に際して、Wien と London で同時に出版する事を考えており、その London での出版や出版前の London に於ける演奏の為の交渉を Neate に託した訳だが、その Neate からの連絡が 2 月に Wien を後にしてから 8 箇月間も途絶えてしまい、業を煮やした Beethoven は最早 Neate からの連絡をそれ以上待つ事は諦めて、Wien での単独出版に踏み切り、1816 年 11 月 に S. A. Steiner und Comp. によって初版が出版されている。
しかしこの出版によって Beethoven が先に考えていた様な、Neate を仲立ちとしての公開前の排他的な演奏契約の可能性や、またこれ以後の London に於ける出版社に対する総譜の売却も不可能となった為に、上記の様な発言となっている。

 


あなたに託した私の全ての曲が
出版も演奏もされないままあなたの手元に残り
そしてその時期に
あなたの Philharmonic Society に対する興味が失われたというのは
私にとっては非常に残念な事です。
しかし過去を変えることは出来ませんし
今この瞬間に何と言ったら良いものかも私には分かりません。
あなたの意図はそれで結構ですし
後は私の僅かな名声が助けてくれる事を望みましょう。
[・・・]

 


 その後には、Neate が Wien を去る時に Philharmonic Society の為に購入した 3 曲の序曲、Ouvertüre zu „Die Ruinen von Athen” (op. 113) と、Ouvertüre Zur Namensfeier in C-dur (op. 115) 、及び Ouvertüre zu „König Stephan” (op. 117) が、Philharmonic Society によって演奏された時の事について触れている。

 


[・・・]
3 曲の序曲が
London で気に入られなかったというのを耳にするのは
とても残念な事です。
それ等の曲を私は決して自分の最良の作品だと言うつもりはありません
(しかしながら A-dur の Symphonie については堂々とそう言う事が出来ます) が
人々がそう簡単には満足するという事の無い
ここ [Wiwn] や Pest [後の Budapest の一部] で
それ等が拒まれるという事はありません。
演奏に落ち度があったのではないですか?
偏見に満ちた雰囲気が支配していませんでしたか?
[・・・]

 


 最後にもう一度、苦労の末にこの年の 10 月 2 日に Catherine Mary Cazenove と結婚する事が出来た Neate の、新しい生活を気遣う言葉を以てこの手紙は終えられている。

 

 


Ludwig van Beethoven
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 17«
[Archiv / Musik 2017 Nr. 7]
へ続く

 

 


2016 年 10 月 29 日付の
Neate から Beethoven に宛てた手紙
に関しては
[Archiv / Musik 2017 Nr. 4]
を参照

 

 


上部の写真:


Beethoven から
London の Charles Neate
に宛てた手紙

第 1 葉
1816 年 12 月 18 日付


Beethoven は丁度この時
リウマチ熱を病んでいたので
Johann von Häring
が代筆している

 

 

 

 

 

 

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