Musik 2017 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92

 


Teil 17

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 7 in A-dur, op. 92 Teil 16«
[Archiv / Musik 2017 Nr. 6]
より続く

 

 Symphonie in A-dur, op. 92 は 1813 年 12 月 8 日に Wien 大学旧校舎の新大講堂に於いて、Ludwig van Beethoven (1770-1827) の指揮によって初演された。
Napoléon 戦争で負傷した Bayern と Austria の軍人の為の慈善演奏会として開催され、同時に „Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria” (Wellington の勝利、又は Vittoria の戦い、op. 91) も初演されたこの演奏会は、5,000 人以上の聴衆が集まったと伝えられており、収益共に大きな成功を収めて、この 4 日後の同月 12 日にもう一度再演される事となった。
Wellingtons Sieg と共に Symphonie も好評を博し、その中でも最も人気を占めた第 2 楽章は両方の演奏会共に、その場での Da capo が求められて繰り返し演奏されている。

 この Symphonie in A-dur の評判と人気はその後もすぐに絶える事は無く、翌 1814 年の 1 月 2 日と 2 月 27 日に開かれた演奏会に於いても再演されている。
同年 2 月 24 日に発行された Wien 新聞で告知され、27 日の日曜日に Wien の王宮内にある Redoutensaal で開催された演奏会では、この A-dur に続く Beethoven による F-dur の Symphonie (Nr. 8, op. 93) が初演を迎えている。

 Leipzig の Allgemeine Musiklaische Zeitung (一般音楽新聞) がこの演奏会に関して伝えているところによれば、A-dur の Symphonie に対する聴衆の反応は、今回も初演の時と同様にとても生き生きとしたもので、沢山の拍手喝采を以て迎えられた。
「器楽音楽の宝冠」 とここで書かれている第 2 楽章は、初演時と同様聴衆の求めに応じてその場で繰り返して演奏されている。

 この時の演奏会の聴衆の数を後に、Anton Felix Schindler (1795-1864) は 5,000 人だったと伝えているが、彼の Beethoven に関する多くの記述の信憑性は現在では大変薄弱だと判明しており、Wien に現存するこの会場の大きさから、この時の実際の聴衆の数は 3,000 人程ではなかったかと推測されている。

 これに続く A-dur の Symphonie が採り上げられた演奏会に関しては、同じ帝室王室 Redoutensaal を会場にして同年 11 月 20 日に開催されると、Beethoven によって Wien 新聞紙上で告知されたが、その 2 日前になって 22 日に延期される事が発表され、更に 27 日迄再度延期された。最終的にはもう一度延期されて 29 日になって演奏会は漸く開かれた。

 この演奏会では最初に Symphonie in A-dur が、それに次いで „Der glorreiche Augenblick” (光栄の時), Kantate für zwei Soprane, Tenor, Baß, Chor und Orchester (op. 136) が初演され、最後にこの Symphonie の初演時と同様に、„Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria” が演奏された。
この演奏会の翌日に Wien 新聞が報じた記事の中で、その記者が Beethoven の意思とは全く関係無く、Symphonie in A-dur を、通称 「戦争 Symphonie」 という呼ばれ方もされる „Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria” の、随伴曲として捉えているのには驚かざるを得ない。

 この演奏会は同じ会場と同じ曲目で同年 12 月 2 日の金曜日に、Beethoven 個人の収益を目的とした演奏会として繰り返されたが、今回は客席の半分程度しか聴衆は集まらなかった。
更に同月の 25 日には、聖 Markus 病院の為の慈善演奏会として更にもう一度同じ曲目で演奏会が催されたが、この時には前回に反して多くの聴衆が集まった。

 Symphonie in A-dur の総譜及び各声部譜は、1816 年 11 月 に Wienの S. A. Steiner und Comp. より出版された。
この出版に対して、当時音楽界で大きな影響力を持っていた、Leipzig の Allgemeine Musiklaische Zeitung による批評では、全音楽聴衆の名の下に喜びを以て Beethoven を慶賀し、その同じ記者が報じているこの前年に Wien に於いて行われた、とても素晴らしい拍手喝采によって繰り返し演奏されたこの Symphonie の輝かしい演奏の時と同様に、Beethoven の尽きる事の無い才能が改めて証明されたと、大きく讃える内容を発表している。
一般の読者を対象にしたものとしては、かなり細かく長文に亘る各楽章毎の解説の後に、この Allgemeine Musiklaische Zeitung の批評としては珍しく、「輝かしい作品の際立った美しさ」、「精神世界全体に於ける最高の美」 等の言葉を始めとして、最大級の賛辞が繰り返して書かれている。

 Symphonie in A-dur の初版譜が出版された頃には、Beethoven は既に Klavier 奏者として公の場に登場する事は無かったが、大いにその才能を発揮した Klavier の演奏の場合とは違って、決して向いているとは言う事の出来なかった指揮者としては、毎年公開の演奏会の場に登場している。
1816 年の 12 月 25 日には聖 Markus 病院の為の慈善演奏会に於いて、Symphonie in A-dur を再度指揮している。

 翌年の同時期に開かれた同じ演奏会では、A-dur に続いて作曲された Symphonie in F-dur (Nr. 8, op. 93) を採り上げ、1819 年 1 月 17 日の慈善演奏会では、再び A-dur の Symphonie を指揮している。
更にその年の 3 月 30 日とその翌日の慈善演奏会に於いては、1803 年に作曲されたが 1811 年になって漸くその初版譜が出版された、Beethoven による唯一の Oratorium „Christus am Ölberg” (Olive 山の Christ、op. 85) と共に、Symphonie in A-dur が演奏されている。

 

 


上部の写真:


Beethoven によって何回か
Symphonie in A-dur が演奏された頃の
Redoutensaal 大 Hall


Joseph Schütz による
彩色銅版画


1815 年に
Redoutensaa に於いて開催された
Wien 会議の際の
仮面舞踏会の様子を描写している

 

 

 

 

 

 

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