Musik 2017 Nr. 8

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 1

 

 

 

 

 

 

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) は嘗て、Symphonie in c-moll (Nr. 5, op. 67) と Symphonie in F-dur (Nr. 6, op. 68, „Pastorale”) を同時期に連続して作曲し、1 回の演奏会で両曲を初演、また献呈者も同じという風に、これ等の 2 曲の Symphonien を 1 組の作品として考えていたが、それと良く似て新しい Symphonie in F-dur (Nr. 8, op. 93) の作曲を、その前作の Symphonie in A-dur (Nr. 7, op. 92) に引き続いて中断する事無く開始している。
Symphonie in A-dur の作曲は 1811 年の後半から開始されて、実質的な作曲は翌年 4 月 13 日迄に終了し、その日から総譜の記譜が始められている。

 この頃に Beethoven が作曲に使用していた楽譜帳はその嘗ての所有者の名前から、現在は 「Petter スケッチ帳」 と呼んで他の楽譜帳と区別している。
その嘗ての所有者 Gustav Adolf Petter (1818-1868) は Wien で生まれ 1834 年から、Europe で最古の芸術 Akademie の一つである、Akademie der bildenden Künste Wien (Wien 造形芸術 Akademie) で学ぶ。彼による花の水彩画が残されてはいるものの、その後の生計は官吏として勤める事によって立て、その一方で Violoncello を演奏し、また 1840 年代からは直筆稿の収集を熱心に行って、Austria の歴史に関わる古文書等の広範な収蔵品を残した。

 それ等の一つとして Petter は、1846 年に Beethoven のスケッチ帳の一つを取得し、彼が亡くなる迄それを所有していた。
Gustav Adolf Petter の没後は、彼の弟で兄と同じく Akademie der bildenden Künste Wien で勉強し、後に画家となった Theodor Josef Petter (1822-1872) の手にこのスケッチ帳は渡っている。

 現在に残されている Petter スケッチ帳は、合計 74 枚、148 頁の楽譜から成っているが、これが元々のこのスケッチ帳の状態では無かった事が現在では分かっている。
Beethoven がこれを使用していた時には製本された一冊の楽譜帳であったが、Beethoven の没後それは一度解体されて、その内の何枚かの楽譜は一枚ずつ収集家等に売却されたか、或いは贈答されて分散した。
現在の感覚ではこういう事はとても考える事が出来ないが、19 世紀には直筆稿が取引されたり、また収集、贈答等のあらゆる行為の対象にされるというのが、大変流行った常套の行為であった。

 そして当時の人々がこの種の直筆稿を入手した場合には大抵その余白に、その出処や真正の証明となる様な事柄を躊躇無く書き込んだ。
また今回の場合の様に製本されていたもの等の一つの纏まったものから、一葉ずつ切り離すという事も当時は普通に行われていたが、その場合にはそれの本来の帰属に関する覚書もしばしば書き込まれた。
この様にして何枚もの楽譜が抜き取られるという経緯を経た後に、或いは Gustav Adolf Petter 自身がこれ等の自筆譜を入手した後に抜き取ったという事も、考え難いにしても可能性としては残されるが、何れにしてもその後に彼が改めてこれを一冊の楽譜帳に製本し直しており、その状態のものが Petter スケッチ帳という形で現在に迄残されている。

 この Petter スケッチ帳の大半が Symphonie in A-dur (Nr. 7, op. 92) と Symphonie in F-dur (Nr. 8, op. 93) の作曲に使用されている事から、スケッチ帳の最初の部分が書かれた 1809 年が、この両方の Symphonie の作曲開始の時期であると長い間考えられてきた。
そうすると 2 曲を一組として作曲した Symphonie in c-moll (Nr. 5) と F-dur (Nr. 6) の初演が、1808 年 12 月 22 日に終了したのに引き続いて、早速 A-dur の Symphonie (Nr. 7) と、更に Beethoven にとっては 2 作目となる F-dur の Symphonie (Nr. 8) の作曲が、それに引き続いて開始された事になる。

 しかしその後音楽学者の Max Ernst Unger (1883-1959) によって、楽譜として使用された紙の透かし模様に基づいた詳細な研究が行われた結果、このスケッチ帳は元来一冊の楽譜帳であったのでは無く、2 種類の違う時期に使用された楽譜が、Petter によって一冊に製本されたという事が判明した。

 この研究の結果に拠ると、このスケッチ帳の最初の部分は 9 枚、18 頁の楽譜から成っており、それが使われたのは 1808 年から 1809 年に掛けての冬の時期で、これに続く第 2 の部分は残りの 65 枚、130 頁が纏まっており、特にこの部分の楽譜には、これ以外に Beethoven が使用した用紙では殆ど見る事の無い特徴的な透かし模様が見られる事から、それが使用されたのは 1811 年の後半から翌年中の期間である事が判明した。

 そして Symphonie in A-dur (Nr. 7, op. 92) と Symphonie in F-dur (Nr. 8, op. 93) のスケッチと草稿は、第 1 の部分には全く書かれておらず、全てがスケッチ帳の第 2 の部分にのみ書かれている事から、この 2 曲の Sympnonie は従来考えられていた様に、1808 年末の前作の初演終了後に引き続いて作曲が開始された訳では無く、その初演終了後から次の Symphonie の作曲に着手する迄に、Beethoven は 2 年半の期間 Symphonie の作曲からは全く離れていた事が分かった。

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 2«
[Archiv / Musik 2018 Nr.1]
へ続く

 

 


上部の写真:


Symphonie in F-dur (Nr. 8, op. 93) の
Beethoven による自筆草稿


Petter スケッチ帳より

 

 

 

 

 

 

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