Musik 2018 Nr. 3

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 4

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 3«
[Archiv / Musik 2018 Nr. 2]
より続く

 

 Ludwig van Beethoven (1770-1827) が 1812 年の夏の休暇の季節に、Praha を経由して Teplitz に向かうその凡そ 1 箇月前に彼は、1809 年以来 Austria 大公 Rudolph (1788-1831) と Franz Joseph Maximilian von Lobkowitz 侯爵 (1772-1816)、及び Ferdinand von Kinsky 侯爵 (1781-1812) との契約によって得ている年俸に関して、友人の銀行員で 1809 年以降 Beethoven の秘書もしていた、Franz Oliva (1786-1848) に相談を持ち掛けている。
Franz Oliva は 6 月 3 日にその件に関して、その時期 Preußen 王国の官職に就いていた Karl August Varnhagen von Ense (1785-1858) に手紙を書いている。

 1809 年に、France 帝国皇帝 Napoléon I. (1769-1821) の弟で、Westphalen 国王 Jérôme Bonaparte (1784-1860、国王としての公式名は Jérôme Napoleon) より招聘され、その Kassel の宮廷に於ける楽長職を引き受ける事を決心していた Beethoven に、それを辞退させてそれ以降も彼を Wien の町に引き留めておく為に、上記の 3 人の貴族達が合計で年間 4,000 Gulden の年俸を支払うという契約が同年 2 月に締結され、それ以降 Beethoven はその年俸を年 2 回に分割して 3 人より受け取っていた。

 Austria 大公国では 1762 年に初めて „Bancozettel” という紙幣が通貨として発行され安定して流通していたが、1788 年の Osmân 帝国の攻撃に対する Wien の防衛戦争と、France 革命後の 1793 年から始まった対仏同盟戦争によって、国庫の支出と負債が急速に増大して行った。
それ等を賄う為に Bancozettel の発行高が急速に増やされたが、それに伴ってその価値は下がって行き、止むを得ず 1797 年になって強制公定相場が導入された。

 3 人の貴族達からの Beethoven の年俸に関する上記の契約が結ばれたすぐ後の、1809 年 4 月から始まった第 5 次対仏同盟戦争の結果、その年の 10 月 14 日に Wien の Schönbrunn 宮殿に於いて、Austria 帝国皇帝 Franz I. (1768-1835) と、Napoléon I. との間で締結された和約によって、Austria は 8,500 万 Franc という多額の賠償金を課されたが、これはそれ以前に既に大きな負債を抱えていた国の財政悪化に、更に追い打ちを掛ける結果となった。

 この国庫の更なる支出と負債の大部分も、それ以前と同様に Bancozettel の追加発行によって賄われていた。
この Bancozettel の流通量を減らす事を目的に、Bancozettel とそれ以降新たに発行される事となった „Einlösungsschein” との任意の交換を政府は推奨する事を始める。しかし、この交換に応じた場合にはその額に応じて財産税が免除されるという好条件を付けたにも拘らず、この交換の申し出は市民達には受け入れられなかった。

 その後 1811 年 2 月 20 日に Austria 政府は国家破産を宣言する。それに伴って Bancozettel の価値が急速に落下し始め、その後に廃止される事になる Bancozettel は 5 対 1 の固定比率で、新たに発行され、それ以降 „Wiener Währung” (Wien 通貨) として制定される „Einlösungsschein” (償還紙幣) に交換される事となった。

 この Austria 帝国の国家破産の翌年に、Beethoven が Franz Oliva に相談したのはこの件に関してで、Oliva は 1812 年の 6 月 3 日に Beethoven に代わって、その頃 Praha に滞在していた Karl August Varnhagen von Ense に手紙を書く経緯となった。
その手紙の中で Oliva は、今迄上記の 3 人の貴族達による Beethoven への年俸は Bancozettel によって支払われて来たが、最近の為替相場の変動から Beethoven は Austria 大公 Rudolph に、Bancozettel では無く Einlösungsschein で年俸を支払って貰うように頼み、Rudolph 大公はそれを承知して、Beethoven はそれ以降 Rudolph 大公からの年俸を Einlösungsschein によって受け取っている。Beethoven は同様の事を今度は Ferdinand von Kinsky 侯爵 (1781-1812) に頼みたいので、Rudolph 大公の侍従の Schweiger 男爵によるこの件に関する確認書を同封するので、それを Kinsky 侯爵に見せ、同封の Beethoven による手紙を手渡して頼んで貰えないだろうかという事を書いている。

 この Franz Oliva からの手紙を受け取った Karl August Varnhagen von Ense は直ちに Kinsky 侯爵に会って、Oliva を仲介して Beethoven より依頼された事を実行した様で、Kinsky 侯爵は Beethoven による要求が正当なものだと認めて了解したという事や、目前に迫っている Beethoven の Bohemia への休暇旅行の折には、是非直ちに自分の許を訪ねて貰いたいという内容の返信を、早速同月 9 日に送っている。

 

 


Franz Oliva
及び
Karl August Varnhagen von Ense
による手紙の原文は省略
日本語訳は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 5«
[Archiv / Musik 2018 Nr.4]
へ続く

 

 


上部の写真:


1811 年に発行された
Einlösungsschein

額面 100 Gulden


Wiener Währung

 

 

 

 

 

 

Bemerkungen sind geschlossen.