Musik 2018 Nr. 7

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 8

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 7«
[Archiv / Musik 2018 Nr. 6]
より続く

 

 1812 年 7 月 6 日と 7 日に Ludwig van Beethoven (1770-1827) が、その年の夏の休暇の滞在地であった、Bohemia 王国の北西端に近い Teplitz (Teplice) から書いた、情熱的な恋文の相手が誰であったのかを探る長年に亙る調査研究の結果、現在ではその候補者が Antonie Brentano (1780-1869) と Josephine Brunsvik de Korompa 伯爵夫人 (1779-1821) の 2 名に絞られてはいるものの、そのどちらであったかを特定する最終的な結果に至る事は、現在に於いても未だ出来ていない。
その内の一名の Antonie Brentano に関しては、現在以下の様な経緯と当時の状況がが分かっている。

 Antonie Brentano は Austria の帝室宮廷顧問官でまた教育監督長も務めた、Johann Melchior Edler von Birkenstock (1738-1809) の長女として 1780 年に Wien に於いて生まれ、1798 年 7 月 23 日に Frankfurt を本拠地とする銀行家の Franz Dominicus Brentano (1765-1844) と Wienで結婚し、それ以後は Frankfurt am Main に移って暮らしていた。
その後 1809 年 8 月に、重病であった父親の世話をする為に生まれ故郷の Wien に戻るが、彼は同年 10 月 30 日に亡くなり、Antonie はその後父親が Wien の Landstraße に建てた広大な宮殿風の邸宅と、またそこに集められた 7,000 冊以上の蔵書類、及び同じく数多くの美術蒐集品等の財産整理の為に、その後 3 年間に亘って Wien に留まる。

 Antonie Brentano は義妹の Bettina Brentano (1785-1859) を通して、翌 1810 年の 5 月末に Beethoven と知り合い、両者の関係は間も無く深い友情へと発展して行ったが、Antonie はその日記の中で Beethoven との間に感じる親和性について記している。
既にその翌年の 3 月には Antonie が Bettina に宛てた手紙の中で、Beethoven が Antonie の最も愛する人の一人になり、殆ど連日 Beethoven の許を訪ねているという事が伝えられている。
一方同じ手紙の中で Antonie は、自分の夫にはもう半年も会っていないとも記している。

 そもそも 1809 年に Antonie が Wien に移る際に、その時生存していた Brentano 夫妻の 4 人の子供達の内、Maximiliane (1802-1861)、Josefa (1804-1875) と Franziska (1806-1837、通称 Fanny) の 3 人の娘達が Antonie と共に Wien へ行き、息子の Georg (1801-1853) は父親と共に Frankfurt に留まる事になり、家族は 2 つに分離されていた。
その後の 3 年間に亘る Antonie とその娘達の Wien 滞在の間、Franz Dominicus が Wien の Antonie の許を訪れたという記録は一つも見当たらず、そればかりか手紙のやり取りも極めて稀であった。

 Antonie が Wien に移り住んだ年は父親の看病の為に夏の休暇を取る事は出来なかったが、その年に次ぐ 1810 年と 1811 年の夏には娘を伴って両年共に、Bohemia 王国の温泉保養地の Karlsbad (Karlovy Vary) と、それに引き続いてそこから当時馬車で 1 日の行程の距離にあった Franzensbad (Františkovy Lázně) に滞在し、そこで 1 箇月半余りの休暇を過ごしているが、 その折にも Franz Dominicus は同行していない。
この頃の Antonie の手紙やこれ等の事実から、この時期に Antonie と Franz Dominicus の夫婦は実質的な別居状態になっていたという事が推定される。

 一方 Beethoven は 1812 年 3 月に、その前年の 12 月に作曲した Lied „An die Geliebte” (恋人へ、WoO 140) の自筆譜を Antonie に贈っている。
また同年 6 月 26 日には 1 楽章の Trio für Klavier, Violine und Violoncello in B-dur (WoO 39) の自筆譜に、「私の小さな友達の Maxe Brentano の Klavier の演奏を励ます為に」 という献辞を添えて、Antonie が Wien に連れて来た 3 人の娘達の内の最年長ではあったが、当時未だ 10 歳の Maximiliane に贈っている。

 Maximiliane の為に Beethoven がこの時作曲したこの Trio の自筆譜は、Beethoven の書いた楽譜としては異例の注意深さを以て、修正箇所も無く読み易く書かれており、また Klavier の声部には全てに亘って指使いが書き込まれていると言う様に、Beethoven が Maximiliane の為に労力を惜しむ事無く書いたという事を明確に見て取る事が出来る。

 この Maximiliane Euphrosine Kunigunde Brentano は 1825 年に、Baden 大公国の外交官で後に大臣となる Friedrich von Blittersdorf (1792-1861) と結婚する事となるが、Klavier の演奏者としてもこの後成長を見せた様で、この Trio を贈ってから 9 年後に Beethoven は彼女に、Sonate für Klavier in E-dur (op. 109) を献呈している。

 1812 年 1 月 9 日に義兄の Clemens Brentano (1778–1842) に宛てた手紙の中で Antonie は、「自分の子供達の生まれ故郷 [Frankfurt am Main] よりは、寧ろ好んで自分自身の生地 [Wien] に甘美な必然性から拘束され、自由な関係が与える本当の幸福と満足を享受しています」 と書いている。

 

 


Ludwig van Beethoven
による献辞
及び
Antonie Brentano
による手紙の原文は省略
日本語訳及び [ ] 内の補注は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 9«
[Archiv / Musik 2018 Nr. 8]
へ続く

 

 


上部の写真:


Beethoven による
Trio für Klavier, Violine und Violoncello in B-dur の
自筆譜

楽譜部分の第 1 頁


10 歳の
Maximiliane Euphrosine Kunigunde Brentano
への献辞が書かれた部分

 

 

 

 

 

 

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