Musik 2019 Nr. 5

 

 

 


Ludwig van Beethoven

 

 


Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93

 


Teil 14

 

 

 

 

 

 

 


»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 13«
[Archiv / Musik 2019 Nr. 4]
より続く

 

 1812 年 6 月に Josephine Brunsvik de Korompa 伯爵夫人 (1779-1821) がその日記の中で、夫の Christoph Adam von Stackelberg 男爵 (1777-1841) は自分の願いにも拘らず、無情にも自分一人を残して去るつもりでいるという事と、自身は Praha に行って助けを求めるつもりだという事を書いた後、Josephine 自身と、彼女の姉の Therese Brunsvik de Korompa 伯爵夫人 (1775-1861) の双方の日記には、凡そ 2 箇月間に亘る意味深い空白の期間が存在する。
この期間の日記の頁を後に本人か或いは第三者が取り除いた可能性を考える事が出来るが、Josephine の日記に関してはこれ以後の 4 葉が実際に刃物によって切り取られている事が認められている。

 Josephine が日記に書いている様に、実際に Praha への旅を企図した丁度同じ時期に、Ludwig van Beethoven (1770-1827) はその年の夏季の休暇で、Bohemia 王国の温泉保養地として名高い Teplitz (Teplice) へ向かう途上、Praha に立ち寄っている。
その折に Beethoven は Praha に於いて、Karl August Varnhagen von Ense (1785-1858) と会う約束を事前にしていたが、Beethoven にとって全く予期せぬ状況の下或る女性に邂逅して、Varnhagen von Ense との約束を反故にしている。
その後 Beethoven が Teplitz に到着すると早速、Praha で出会ったその女性に宛てて情熱的な恋文を書き、Tepliz と同様に Bohemia 王国の温泉保養地として名高い、Karlsbad (Karlovy Vary) から更に馬車で 1 日の距離にある、恐らく Franzensbad (Františkovy Lázně) ではないかと推測されている宛先へ送付している。

 当時の Wien では町から旅行に出立した者の記録が警察に保管されていたが、それに拠ると Beethoven は 6 月 29 日の朝 4 時に Wien を発っている事が分かっている。
また Praha では „Prager-Oberpostamtszeitung„ (Praha 中央郵便局新聞) が、Praha を訪れた主に貴族を中心とする数多くの著名人の一覧を発表していたが、それに拠ると Beethoven は 7 月 1 日に Praha に到着しているという事が伝えられている。
またその後に Beethoven が向かった Teplitz の温泉客名簿には、彼が 7 月 5 日の朝 4 時に当地に到着している事が記録されている。

 一方 Praha で Beethoven が予期せず出会う事となった女性としての、可能性が有る一人と考えられている Josephine に関しては、この時期に Wien から出立したという記録も、また Praha に到着したという記録も発見されていない。
但し Josephine は Bohemia 王国内に数多くの親類縁者を持っており、彼女が Bohemia へ赴く際にはいつもその内の一人の義姉妹、Victoria Goltz 伯爵夫人邸に滞在するのが常となっていた為に、Wien を発つ際と Praha への到着の際にも単に旅行者としてでは無く、匿名で行動する事は可能であった。

 Victoria Goltz 伯爵夫人の Praha に於ける邸宅は、現在 Praha の旧市街地を形成しているその一角の Neustadt (Pražské Nové Město) にあったが、この時に Beethoven が Praha の滞在先としていた „In den alten Alleen“ (Ve starých alejích) にあった Hotel „Zum schwarzen Ross” はそこから数百 m という近い距離にあった。
Josephine はこの時 Beethoven とは何の関係も無く、自身の身に迫る Stackelberg との離婚やそれに伴う親権の問題と、Witschapp と Lessonitz の領地購入に関する法廷闘争で失われてしまった、自身の法外な額の財産の返戻の為の法的助言と援助を求めて、日記に記していた通り実際に Praha に来ていたのではないかと考えられているが、その際に偶然 Beethoven と 7 月 3 日の夜に Praha の街中で出会ったという可能性を推測する事は出来るし、また Beethoven が後に 「全く予期せず」 と説明している状況とも一致する。

 Beethoven はその後 Teplitz に到着して 10 日後の 7 月 14 日になって漸く、Praha の Karl August Varnhagen von Ense に宛てて手紙を送っているが、その中で 「Praha での昨晩は共に過ごす事が出来ず申し訳ありませんでした。自分自身でも無礼な事であると思っておりますが、事前に予測する事が出来ない事態であったという只その理由によって、約束を守る事が出来ませんでした」 と書いている。

 

 


Ludwig van Beethoven
による手紙の原文は省略
日本語訳は執筆者による

 

 


この先は次回
»Symphonie Nr. 8 in F-dur, op. 93 Teil 15«
[Archiv / Musik 2019 Nr. 6]
へ続く

 

 


上部の写真:

Praha の Neustadt

 

 

 

 

 

 

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